堺市立三国丘中学校
【中学校区におけるめざす子ども像】
自分も人も大切にできる子ども
【学校教育目標】
時を守り 場を清め 礼を正す
主体的な学びの場の創造
防災を通して命を学ぶ
校長雑感 一隅を照らす
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今日の一言 7月7日 そうだ、外交官になろう!(主権者教育)
- 公開日
- 2025/07/07
- 更新日
- 2025/07/07
校長雑感 一隅を照らす
私は、この12年間、常に主権者教育を意識して学校教育に取り組んできました。社会に関心を持つこと、自分の周りの出来事に対して当事者意識を持つことは、私たちにとって、とても大切です。その想いから、子どもたちには、少し難しい話もたくさんしてきました。参院選挙が始まりました。三国丘中学校の子どもたちは、どのくらい、関心を持っているでしょうか?
三国丘中学校の子どもたちは、未来の社会をつくる人、文化を創造する人です。大きな関心をもってほしいと願っています。今実際に日本の未来について、大人たちが真剣に意見を交わし、時代が動こうとしています。子どもたちは、どんな意見や考え方に共鳴するのでしょうか!?もし、自分に選挙権があったら・・・と想像することができるでしょうか?
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さて、2021年の冬、当時勤務していた小学校で、卒業をまじかの6年生に向かってこんな話をしました。
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いま、私はウクライナの話をしなければならないと思います。君たちの年齢だからこそ、知っておいてほしいと思います。ウクライナは、長い年月たいへん困難な時代が続いています。すべてを把握することは専門家でも難しいといわれています。皆さんには、少なくとも2014年のウクライナ騒乱からの状況を知ってほしいと思います。是非インターネットなどで情報をとってみてください。
こんなことを言うのも、ウクライナは、私にとって、どこか知らないところの国ではなかったからです。
私は、1986年にドイツへ留学しました。それから27年間ドイツで暮らしました。なので、1988年のイラン・イラク戦争の停戦、1989年のベルリンの壁崩壊、それに続く1990年の東西ドイツの統一という、歴史の大きな出来事を身近に感じていました。国と国、民族間の紛争は、そんなに遠い国の話ではありませんでした。ウクライナもドイツからはさほど遠くないところにある国です。私にとって、どこか知らないところの国ではなかったのです。
ドイツに渡って20年ほどたったころ、私は、ミュンヘンの日本人学校で働いていました。父親の海外駐在に同行した子どもたちのための教育機関です。幼いながらに、ドイツという在外で暮らすと、子どもたちは、日本人としてのアイデンティティーを知らず知らずに意識することになります。そして、重い過去を持ったドイツのことや、日本という国が背負った残酷な事実について、関心を持つ子どもが少なくありません。子どもたちや保護者と、あの頃の日本やドイツに、もし私たちが生きていたら、どうしていただろう・・と、話すこともありました。
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そんなある日、アメリカ・ニュージャージー州にあるプリンストン日本語補習校の校長先生がドイツに遊びに来ました。興味深い学校の様子をいろいろ聞いたのですが、特に印象深かったのが「ディベートの授業」についてです。特定の論題について、自分の意見とは関係なく、異なる立場に分かれて議論をします。その日のディベートの論題は「原爆投下は正しかったか、正しくなかったか」でした。
プリンストン日本語補習校は、お父さんがアメリカ人でお母さんが日本人というような子どもたちが、学んでいる学校です。
先ず、アメリカ側に立って、トルーマン大統領の考えを意見として発表します。今度は、日本側になって、被爆した人たちの想いを意見として発表します。お互いの意見は、当然のごとく、真っ向から対立することになります。そして、どちらも正しくないと言い切れない、解決できない大きな難しさに直面します。
ところが、ディベートの授業を重ねるうちに、子どもたちは、ある希望の光、自分の進むべき道が見えたような気持になったそうです。さて、それは一体何だったのでしょうか?
希望の光、自分の進むべき道とはいったいなんだったのでしょう。彼らは、こう考えたそうです。切羽詰まるところまでいったら、両方ともに言い分があり、どちらが正しいとも正しくないとも言えなくなってしまう。そうであるなら、将来、同じような問題が起きた時、切羽詰まるまで、行きどまりになるまで、その問題を ほおっておいてはいけない。切羽詰まる、その何歩も手前で、解決策を打たなくてはいけない。
そうだ、外交官になろう!
外交官になって、国と国、民族間の争いをなくす人になろう・・・・そう思ったそうです。
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私は、これからどんどん大人になっていく皆さんに、こんな風に考え、行動する人になってほしいと思います。そのためには、たくさんたくさん、学んでほしいと心から願います。たくさんたくさん本を読んで、たくさんたくさん挑戦して、うまくいかないこともあるでしょう。そうしたら・・また、たくさんたくさん、勉強して、挑戦して・・。挑戦している間は、失敗はありません。うまくいかないことも、前進の証だからです。みなさんは、明日の世界を創っていく人です。希望の光なのです。期待しています。
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今日の一言 7月4日 岡潔について(2) 感情による納得
- 公開日
- 2025/07/04
- 更新日
- 2025/07/04
校長雑感 一隅を照らす
参院選挙が始まりました。テレビを見てもSNSを見ても、党代表者や候補者の演説が聞こえてきます。どの人たちも、論がしっかりしているし、魅力的なお人柄だし、お一人お一人のお話だけを聞いていると、この人いいな!と思ってしまいます。でも、そのお話に納得した!というところまでは、なかなか行きつかないのは、どうしてなのかな?と不思議でした。
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「・・感情が納得してくれなければだめなんで、知性が説得しても無力なんです。説得しましても、その数学が成立するためには、感情の満足がそれとは別個にいるのです。人というものはまったくわからぬ存在だと思いますが、ともかく知性や意志は、感情を説得する力がない。ところが、人間というものは感情が納得しなければ、ほんとうには納得しないという存在らしいのです。」(引用:人間の建設 小林秀雄・岡潔著 P.40)
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なるほど・・・。数学は、そのような世界のようです。論理的な思考を使って人を説得するという意味で、少しだけ「選挙」も似ているとするなら、感情の満足がいるのでしょうか?感情を説得するとは?どういうことなのでしょう・・・・
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今日の一言 7月3日 家族がスタート
- 公開日
- 2025/07/03
- 更新日
- 2025/07/03
校長雑感 一隅を照らす
いま着ているものよりもっといいものが着たい
きょうの食事よりももっとすてきな食事をしたい
現在の家よりももっと広いところに住んでみたい
もっといい暮らしを
そのことが父親の頭の中にいっぱい
そのことが母親の頭の中にいっぱい
子どもに友だちがひとり増えたことを知らない
もう一人の子どもが新しく覚えた遊びを知らない
二人のこどもも話さない
四人ともそれぞれの時間がふえていく
その分、向かい合うお互いの時間が減っていく
一番身近にいる人の本当の悩みにも
喜びにも、苦しみにも気がつかなくなっている
いつでもすぐ近くにいる人の本当の姿が見えなくなっていく
愛のスタートは家族
本当に愛して、本当にあいされて家族
(マザー・テレサ)
・・・
学校は・・・
「読み・書き・そろばん」の勉強をするところ。
「社会性・行動規範」を身につけるところ。
「できないことをできるように」するところ。
「世の中捨てたもんじゃないよ」とわからせるところ。
「世の中厳しいよ」とわかるところ。
「未来の社会を創る子どもたちに、必要な力をつける」ところ。
いろいろ言われています。もちろん法律(学校教育法・第二十一条)ではもっと正確に学校教育の目標は示されています。私たち義務教育に携わる者は、この法律をすべて学校活動の根拠にしています。(下記の≪↓詳細はこちら≫をご覧ください)
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学力には、「目に見える」学力と「目に見えない」学力があります。
簡単に「計ることのできる」学力と「計ることのできない」学力があります。
学力テストを代表とする「見える学力を向上させる」ためには、
目に見えない学力、計ることのできない学力が重要であるという説があります。(引用:「学力の経済学」中室牧子著)
「目に見えない学力、計ることのできない学力」とは、
「行動規範・心がけ・優しさ・思いやり・自制心・やりぬく力・打たれ強さ・・」・・などなどです。
しかし、このような力を付ける前提として、
子どもたちの周りの大人たちが、マザーテレサの言葉のように、
子どもたちの「本当の悩み・喜び・苦しみ」に気付くことができることが
大切なのだと思います。
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今日の一言 7月2日 岡潔について(1) 積木細工
- 公開日
- 2025/07/02
- 更新日
- 2025/07/02
校長雑感 一隅を照らす
岡潔「ともかく大学院のマスターコースまですませなければ、1930年以降の最近30年間の論文は読ませることができない。言葉の意味を分からせるために、次々と体系を教え込むと、それくらいかかる。もうこれ以上ふえたら、しようのないことになりますね。」
小林秀雄「数学の世界も、やはり積木細工みたいになっているのですか」
岡潔「なっているのですね。今私が書いているような論文の、その言葉を理解しようと思えば、始めからすっと体系をやっていかなければならぬ。」
「人間の建設」新潮文庫 P.40~41
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もし、今の子どもたちが未来の社会をつくる人になるためには、例えば数学であれば、計り知れないほどの先人の足跡を辿った後に、何者にかになれるのでしょう。でき得る限り、早く使命に気づき、勉強を始めること。使命に気づくために、学校での日々の学びがあるのかもしれません。
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今日の一言 6月30日 岡本太郎!
- 公開日
- 2025/06/30
- 更新日
- 2025/06/30
校長雑感 一隅を照らす
1年生の学年主任の先生が書いた、著名人の似顔絵と名言のコピーが一年生7クラスが入っている校舎の階段に掲示してあります。
いいかい
怖かったら 怖いほど、
逆に
そこに
飛び込むんだ。
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いいですね。勇気が湧いてきます。
飛び込もう!!
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今日の一言 6月24日 明日から修学旅行!
- 公開日
- 2025/06/24
- 更新日
- 2025/06/24
校長雑感 一隅を照らす
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今日の一言 6月18日 学問を楽しむ心
- 公開日
- 2025/06/18
- 更新日
- 2025/06/18
校長雑感 一隅を照らす
「人は極端に何かをやれば、必ず好きになるという性質を持っています。好きにならぬのがむしろ不思議です。」
「好きになることがむずかしいというのは、それはむずしいことが好きにならなきゃいかんということでしょう。たとえば野球の選手がだんだんむずしい球を打てる。やさしい球を打ったってつまらないですよ。ピッチャーもむずかしい球をほうるのですからね。つまりやさしいことはつまらぬ。むずかしいことが面白いということがだれにもでもあります。」
「野球選手はみな学問をしているのですよ。ところは学校というものは、むずかしいことが面白いという教育をしないのですな。」
「むずかしければむずかしいほど面白いということは、だれにでもわかることですよ。そういう教育をしなければいかないとぼくは思う。」
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岡潔と小林秀雄の対談「人間の建設」からの引用です。大谷翔平の話ではありません。学問について知の巨人の二人による対談の内容です。
学校というものは、むずかしいことを面白いという教育をしない・・・という一節に、学問を楽しむ心を教えていない‥と言われているようです。
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今日の一言 6月17日 誠実であること
- 公開日
- 2025/06/18
- 更新日
- 2025/06/18
校長雑感 一隅を照らす
誠実にして、はじめて禍を福に変えることができる。
術策は役に立たない。
(二宮尊徳)
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1980年代後半から始まった日本経済の低迷期。この期間は「失われた30年」と言われています。私は、1986年に日本を離れ、2014年に帰ってきました。ほぼ同じ期間です。その間、年に1・2度、出張や休暇で1週間ほどの一時帰国の機会があるだけでした。旅行者みたいなものです。日本の空気感を実感として感じることはできませんでした。
2014年に帰国し、学校で働き始めましたが、何かわからない居心地の悪さを感じ続けていました。校長として12年、最後の年。この「何かわからない居心地の悪さ」は、経済力だけのことではなく、日本人が大切にしていた「誠実さ」や「文化」が失われてしまったのではないかという考えです。(少し偉そうですが・・・)
・・・
◯きまりを守ることより、うまくやりすごすこと
◯本当のことを言うより、耳障りのいいことを言うこと
◯自分が信じていることをするより、みんなが何となくやっていることをすること
◯立場の強い人のことには無批判に従い、よく理解していないことをやり続けること
◯見つからなければ、やってはいけないとわかっていることをしてしまうこと
◯自分が理解できるまで努力しようとしないこと
◯損得や方便ではなく、本質的な考え方をしようとしないこと
・・・
日々の様々な出来事に翻弄され、その場限りの課題を解決することだけを考えるようになると、「誠実」という言葉自体を忘れ、「誠実である勇気」を持つことさえ忘れてしうのでないかという怖さを、自分の中に感じることがあります。私は、「誠実」だろうか?自問自答する毎日です。
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今日の一言 6月11日 あがる(緊張すること)
- 公開日
- 2025/06/11
- 更新日
- 2025/06/11
校長雑感 一隅を照らす
写真:中学校で初めての期末テストを終えて* * * * * *「第九! 何百回、演奏したかわからない。それでも、緊張して、手が震える。それどころか、年齢を重ねるほど、音を出すのが怖くなる・・・体に染み込むほど練習し演奏して来た曲なのに、入りが怖くて、休みの小節を一生懸命に数えてる!!」日本でトップのオーケストラの団員で、ティンパニー奏者としても日本で頂点に立っていた人でした。定年退職間近の頃にそう言っていたそうです。・・・昨晩、40年近くプロの打楽器奏者として活躍している友人と会いました。このティンパニー奏者のはなしは彼から聞きました。彼自身も同じように緊張するし「あがる」そうです。「本番で手が震える。ここ20年ぐらいそうなんだ」「ボレロのスネアで手が震えたら最悪だよ」ラベル作曲の「ボレロ」の冒頭は、スネアドラム(小太鼓)が「タン・タカタタン・タカタタン・タン・タンタカタタン・タカタ タカタ タカタ」というリズムを、ソロで、しかもピアニシモで演奏します。そして、全曲を通してずっとこのリズムをたたき続けます。この曲で、スターになるのは、打楽器奏者です。だからこそ、手が震えるのです。彼はこう付け加えました。「プロは、誰でもわかるような間違いは絶対にしてはダメだからね」・・・カラヤンが率いるベルリン・フィルは、昔から名手ぞろいで有名でした。オーボエ界では、今でもレジェンドの「ローター コッホ」という演奏家もベルリン・フィルの団員でした。ある日、日本のオーケストラでモーツアルトのオーボエ協奏曲を演奏することになりました。彼は、もう何度となく演奏した曲です。名手中の名手です。そんな彼が、これから本番という直前までステージの袖で、2楽章のあるフレーズを何度も何度も練習していたそうです。レの音から1オクターブ上のレの音にレガートで跳躍するパッセージです。吹いても吹いても、「ダメだ」と言うように、首を振り、更に繰り返し何度も何度も練習を続けるのだそうです。顔色はだんだん青白くなり、手も震えています。見るからに緊張していることが見てとれたそうです。・・・そして、本番!それはそれは素晴らしい演奏だったそうです。特に、レからオクターブ上のレに跳躍する件の個所は、この世のものとは思えないほど美しかったそうです。・・私が学生時代、先生(元NHK交響楽団団員)に仕事をもらって、先生といっしょに演奏会に出たことがありました。いよいよ本番というとき、弟子の私はずいぶん緊張して見えたのでしょう。薄暗いステージ袖で「名人だって、あがるんだがら、お前があがって当たり前!」とはなしてくださったのが、この話でした。***だれでも、あがる・緊張する。「それで、いいんだよ」中学生のこどもたちには、誰かの前で発表したり、今日の定期試験のように自分を試されるような機会がたくさんあります。さぞ緊張することでしょう。大人になればなるほど、緊張が増すことがあります。緊張しなくなると、もうそれで、成長がなくたったということ、緊張していいんだという人もいます。とにかく、こどもたちには、いろいろな経験、いろいろな想いを味わって、強くたくましくなってほしいと願っています。 -
今日の一言 6月10日 寛容と不寛容
- 公開日
- 2025/06/10
- 更新日
- 2025/06/11
校長雑感 一隅を照らす
卒業生の大学生が学校に遊びに来ました。ひとしきり思い出話に花を咲かせた後、こんな質問をしてきました。
「どうも最近のニュースが暗くてかないません。SNSでもTVでも攻撃的な物言いや
『論破!』とか言って、分かり合うことより、勝ち負けを争っているような場面が目立っているように思います。」
『息苦しいですね。何がいけないんでしょうか?!何が必要だと思いますか?」
私も、最近どんどん息苦しさが増してきたように感じていました。こんなお話をしました。
「欠けているのは、寛容ではないでしょうか。」「寛容には、想像力が必要です。」
「自分の持っている想像力では、理解できないことがある・・・という想像力です。」
ずいぶん前に読んだ、渡辺一夫というエッセイストが著した「狂気について(岩波文庫)」というエッセイから影響を受けていました。多分こんな内容だったと記憶しています。人類の歴史はある意味で寛容と不寛容との争いの歴史だ。寛容と不寛容は歴史の中で多くの場合、不寛容が勝ってきた。なぜなら不寛容の方が、寛容よりはるかに攻撃的であるからだ。寛容は防衛的で、不寛容は攻撃的である。恐ろしいのは、寛容と不寛容の歴史の中で、寛容が不寛容と戦う中で、寛容が自ら不寛容になっていくことである。*****私の回答をどのように受けとめてくれたでしょうか。皆さんはどう思われますか?