堺市立三国丘中学校

時を守り 場を清め 礼を正す
「主体的な学びの場の創造」「防災という教育を通して”命”を学ぶ」

校長雑感 一隅を照らす

  • 今日の一言 5月13日 未来をつくる堺教育プラン (2)教育理念 その2

    公開日
    2025/05/13
    更新日
    2025/05/13

    校長雑感 一隅を照らす



    教育理念とは?
     堺市立の学校園の運営は、「未来をつくる堺教育プラン」に示された指針に則って実施されています。機能する組織は、その組織が掲げる「理念」が明確に示され、組織の構成員に周知され、しっかりと理解されていることが前提であると言われます。15年間に亘り堺市が掲げ続けてきた理念とは?
    大きく3つの項目が掲げられています。

    堺市の教育理念「ひとづくり・まなび・ゆめ」 → → 令和7年度 堺市立学校園運営における指針
      1.豊かな心のひとづくり(ひとづくり)
      2.確かな学びの形成(まなび)
      3.ゆめをはぐくむ教育の推進(ゆめ)

    1.豊かな心のひとづくり(ひとづくり)  自分の良さや可能性を知り、多様な価値観を認め、相手の立場を思いやり大切にできる豊かな心、大きな視野で社会や物事を捉えることのできる心のゆとり、秩序を重んじ、社会性を身につけるための規範意識の育成を進めます。
       
    一般的に、理念や目標は、
      一つでは、もの足らず、
      二つでは、バランスが悪く、
      三つ揃うと、突然しっかりしたイメージが浮かび上がってくる・・・そんな印象はありませんか?

    堺市の教育理念も正にそのような作りになっているように思います。一つ、二つ、三つと読み進め、読み終わったときに、私は、この理念を作った人たちの【堺の教育】に対する情熱、想いを強く感じました。

    ひとつ目は、≪心≫です。「ひとづくり」とまとめられていますが、【豊かな心】”自己”から”他者”へ、【心のゆとり】所属する共同体へ、そして【規範意識】社会を創り出す秩序までを≪心≫と≪意識≫に焦点化し≪豊かな心≫を育成することが「ひとづくり」だと言い切っています。

    (つづく)
















  • 今日の一言 5月12日 未来をつくる堺教育プラン (1)教育理念 その1

    公開日
    2025/05/12
    更新日
    2025/05/12

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     堺市には、「未来をつくる堺教育プラン」と呼ばれる市の教育に関する計画書があります。
     この計画書は、一般には「教育振興基本計画」といわれるもので、教育基本法第17条第2項において、地方公共団体は国の教育振興基本計画を参考にしつつ、その地域の実情に応じ、教育施策に関する基本的な計画を定めるよう務めるものとされています。

     国は、平成20年7月に初めての「教育振興基本計画」を策定し、以降、5年おきに第2期・第3期計画を策定、現在は、第4期(令和5年度~令和9年度)に入っています。
     堺市は、「教育振興基本計画」に相当する計画書を、平成23年2月に第1期「未来をつくる堺教育プラン」として策定しました。令和7年度は、5年おきの改訂サイクルの第3期・最終年度になります。 

     堺市立の学校園の運営は、この「未来をつくる堺教育プラン」に示された指針に則って実施されています。
     機能する組織は、その組織が掲げる「理念」が明確に示され、組織の構成員に周知され、しっかりと理解されていることが前提であると言われます。15年間に亘り堺市が掲げ続けてきた理念とは、どのような内容なのでしょうか・・・。

    堺市の教育理念「ひとづくり・まなび・ゆめ」について(つづく)






  • 今日の一言 5月1日 “神業”を支える“教育への熱い思い

    公開日
    2025/05/01
    更新日
    2025/05/01

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    令和7年4月30日のPTA・後援会総会で、この春あたらしく赴任された21名の先生方、併せて49名の教職員を紹介しました(業務の都合で参加できない職員もいましたが)。今回「今日の一言」でご紹介するのは、私の尊敬する元校長先生のコラムです。学校で教育に携わる者として心に刻み込み、思い新たに、全教職員でともに子どもたちの成長のために頑張りたいと思います。
    ***
    その学校に退職間近のK先生が教務主任(学校運営を企画推進する重要な立場)をされていました。ところが、その方は、教務主任をしながら自ら願って、特別支援学級の担任もされていたのです。その上、いつも元気いっぱいで嬉々とした振る舞いでした。自分の学級だけで精いっぱいの私からは見れば、まさに“神業”でした。

     K先生の退職間際の3月、退職までに是非聞いておこうと思ったことがありました。それは、“神業”を支える“教育への熱い思い”でした。ある日の放課後、K先生が担任をされている特別支援学級の教室内で、「先生は、いつも、子どもたちをどのように思って接しているのですか」と伺ったところ、「私は、いつも子どもたちに、愛おしさを感じているのです。どんな子でもかわいいのです。抱きしめてあげたい心境なのです」との言葉が返ってきました。そして、教室内に掲示されていた特別支援学級の子どもたちの絵を、一つひとつ指さしながら、それぞれの絵の“よさ”をじっくりと語られました。その眼には、涙のようなものが光っていたのを覚えています。

    さらに、若い私に“これだけは伝えておきたい”との思いで、次のような話をされました。

  • 今日の一言 4月30日 正心館(三国丘中学校 体育館)

    公開日
    2025/04/30
    更新日
    2025/04/30

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    「正」という字は、「一」と「止」に分けることができます。正しい行いとは、先ず「一つ止まって判断する」この考え方を紹介している人は少なくなくありません。少々こじつけになるかもしれませんが、私のメンターの著書や四書(大学・中庸・論語・孟子)の中の考え方を取り混ぜながら、解釈してみました。
    正しさ・・定義するのは、そう簡単なことではないと思います。人それぞれに考え方があります。ある人が正しいと思っても、他の人から見ると全く正しくない。よくあることです。むずかしいですね。そこで、「正しさ」を概念で捉えるのではなく、行動として捉えたのが「一つ止まって判断する・考える」ではないかと思います。
    しかし、反論も簡単です。一つ止まって判断したことが、間違いであれば、正しくないではないか。その通りです。そこで「人は、間違った判断はしない」「人は、そもそも“善”である」という考え方が根本になければなりません。すなわち「性善説(孟子)」です。
    ・・・
    いやいや、なかなか難しい話になりそうです。
    私も本を読みかじったり、偉い人の話の受け売りをしているだけなので、不安になり始めましたので、易しいお話になるよう頑張ってみます。短絡的な筋道のお話になるかもしれませんが、ご勘弁ください。
    ・・・
    四端の心 ↓ ↓

  • 今日の一言 4月29日 外国語教育について思うこと (6)

    公開日
    2025/04/30
    更新日
    2025/04/30

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    「日本が必要としているのは・・・外国人に道を訊かれて英語で答えられる人材などではない。」
    「日本が必要としているのは・・・専門家相手の英語の読み書きで事足りる学者でさえもない。」
    「日本が必要としているのは・・・世界に向かって、一人の日本人として、英語で意味のある発言ができる人材である」

    『日本語が亡びるとき 英語の世紀の中で』より(水村美苗著・20081031日・筑摩書房)
    * * *
    「企業が、そして日本の社会が求めている日本人の英語力は、日常会話が何とかできるという初級レベルではなく
    英語で仕事ができる中級以上のレベルなのです。
     ・・中略・・
    私も水村美苗の見方に賛成です。今求められているのは、日本のことをよく知り、社会や世界の動きなどについて自分自身の意見を持ち
    、それを外国人にわかるように発言できる、そのような英語力なのです。」
     『英語で話すヒント』から(小松達也著・岩波新書)
    * * *
    一昔前の日本は、西洋の文化・文明を取り入れることに懸命でした。そのためには、語学が必要でした。英語をはじめ、ヨーロッパの言語を理解する必要がありました。
    そのための語学力を求められたのです。
    ・  ・  ・
    今は、どうでしょうか?今では、外国語で話し、自分自身の意見や考えを説明したり、説得したりする語学力まで求められているのではないでしょうか。
    『英語を・・話す』・・・から  『英語で・・話す』へ
    助詞一つのわずかの差ですが、意味はとても大きく違ってきます。
    *** *** ***
    日本の子どもたちが成長し、社会人になった時、何のために外国語(英語)を使うようになっているのか、
    私は明確なイメージを持つことができません。
    ・・・
    流されるように英語教育がどんどん義務教育の中に入ってきています。
    英語を学習する意味を考え続けたいと思っています。

    (12年前の校長雑感・大阪市立桃陽小学校の記事より引用)

  • 今日の一言 4月28日 外国語教育について思うこと (5)

    公開日
    2025/04/28
    更新日
    2025/04/28

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    「何を言っているか、さっぱりわからない。」「とにかく、私の言っていることを信じればいいんです。ドイツのことやドイツ語で書かれた法律を理解することは、
    あなたにとっては難しいでしょう。ドイツの法律に従っていては工期を守ることはできません。私を信用してください」
    校舎の屋根の上にソーラーパネルを取り付ける業者の責任者が、私に向かってこう言い放ちました。

    ***ミュンヘン日本人国際学校の理事・事務局長時代のお話です***

     私は、腹が煮えくり返るような思いで、言い返しました・・
    ≪あなたは、先日まで私の言うことを100%理解できると言っていたではないか。突然、私の言っていることが分からないというのか?≫
    ところが、彼はニヤッと笑って肩をすくめるしぐさをしただけでした。
    ・  ・  ・
    この程度のことに負けるほど、私は弱くはありませんでした。この手のドイツ人に鍛えられています。言葉が通じない・・と言い切る人は、相手とのコンタクトを拒絶した人です。
    このとき私は、友だちと話しているのでも、家族と話をしているのでもありません。ビジネスの場で交渉をしているのです。マナーというものもあります。

    彼の様子から、はなしても無駄だと思った私は、こう続けました・・・ 
    ≪わかった、では弁護士を介在させよう。私が信じるのは、ドイツの法律を守る人間だ。あなたは、ドイツ人だろう。法律がよくないと言うなら法律を変えればいい。私は、外国人だ。あなたたちが決めた法律を変えることはできない。どんな小さな活動においても法律を守り、誰に対しても説明する義務が運営責任者の私にはある。私の言っていることが、わからないと言うなら、
    もう私とあなたは、これ以上話すことはない。
    ・ ・ ・
    一時期のドイツ政府は、原子力発電から太陽光エネルギーの活用へと大きく舵をとっていました。
    (写真:ドイツにおけるソーラー設置台数の推移。単位=1000。これは2011年から12年のはなし) 
    施策として、期限はありましたが、太陽光発電による売電やソーラーシステムの設置などへの様々な優遇措置をとっていました。前述の業者は、雨後の竹の子のように出現した
    ソーラー設置業者のひとつでした。優遇措置の期間がまさに終わりを告げようとしていた時期。この業者の担当者は「工期を守ること」に必死だったのです。
    ・ ・ ・
    弁護士を交えての交渉は、私の一方的な勝ちでした。彼らは、設置作業を終わらせることもできず倒産しました。もし、あのとき縁を切っていなければ・・・
    * * *
    人間関係が友好的な場合は不十分な語学力でも何ら問題はありません。しかし、ひとたび関係がこじれると、その国の言葉を完璧に操らない限り、ここで話をしたようなことが起こり得ます。
    ・ ・ ・ ・
    いくつか例をあげたおはなしは、もちろん外国に住んだ場合です。外国語の力が必要なことは間違いありません。では、日本人または大阪の子どもたちは、どんな語学力(英語)が必要なのでしょうか。


    生活言語?
    学習言語?
    ビジネス英語?
    (つづく)



  • 今日の一言 4月25日 外国語教育について思うこと (4)

    公開日
    2025/04/25
    更新日
    2025/04/24

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    2014年に日本・大阪に来るまでの私は、ドイツ・ミュンヘンにある日本人学校(日系企業の駐在子弟が通学する全日制の学校。小中一貫校)の事務局長・理事として学校運営に携わっていました。主な業務は、学校運営上必要な「運営母体の理事会運営・学校の許認可・財務・人事・営繕など」です。
    特に、理事会の運営が大きな仕事でした。理事会のメンバーは全員、日本人。在ミュンヘンの日系企業の現地法人の社長や支店長の方々です。
    彼らと一緒に学校を運営していきます。月に一度の理事会では、様々なことを話します。
    たとえば、
     学校の許認可について、ミュンヘン市からの要望への対応。
     自前で立てた校舎建設時に起こった建設会社との係争の処理。
     スクールバス会社の入札について。
     現地採用者の雇用契約書の内容について。
     ・・・などなど
    具体的に何をするのか・・・
    たとえば
     ミュンヘン市の学校局(教育委員会)やバイエルン州の教育省からの手紙を日本語に訳し、要約を理事会で説明し、対応策を協議します。今度はその結果を先方にドイツ語の手紙にして回答します。というとすごいようですが、ドイツ語から日本語への要約はできても、日本語からドイツ語へは簡単ではありません。私がするのは準備だけです。
    学校で雇っているドイツ人の女性事務職員に理事会での協議内容と回答をドイツ語で伝えます。彼女が作成した文書が間違いなく理事会の意思を伝える内容になっているかチェックします。
    ここで私の必要なドイツ語能力は、次のようなものです。
     ・ドイツ語の文書を理解できること。
     ・それを日本の人たちがわかるように、日本語に要約できること。
     ・日本語をおおよそのドイツ語に訳し、こちらの意図が正しく通じるドイツ語の文書をドイツ人に書かせること。正確に格調高く書けているかなどを、チェックできること。
    私の語学力で仕事上問題は起きませんでしたし、役には立てたように思います。
    しかし、とてもはお恥ずかしいはなしですが・・・
    私は、帰国する最後までドイツ人のような発音もできなかったし、ドイツ人のようなドイツ語を話すことも書くこともできませんでした。
    ドイツ生まれでドイツ育ちの息子の前で、ドイツ語を話すと嫌がられたものです。
    ・  ・  ・  ・
    さて、私はドイツ語ができたのでしょうか?
    それとも、できなかったのでしょうか?
    (つづく)


  • 今日の一言 4月24日 外国語教について思うこと(3)

    公開日
    2025/04/24
    更新日
    2025/04/24

    校長雑感 一隅を照らす



    大きな意味での「転職」を経験したのは、今から30年ほど前。
    それまで全く興味のなかった業種へ、それこそ生きる為に転職しました。
    ・・・・
    なんと、契約書は英語で書かれていました。日系の企業だったので面喰いました。
    それまで、私にとって外国語とは「ドイツ語」のことで、「英語」ではありません。
    「英語」は、主に「記憶力と勤勉さをテストする」ものでした。高校受験・大学受験に合格し、大学を卒業するためです。
    ・・・・
    契約書に書かれてあるのは、もちろん「物語」でもなく「エッセイ」でもなく「格言」でもありません。
    見慣れない単語や文体が並んでいます。
    Employment Period
    Work to be Performed
    Annual Paid Vacation Days
    Salary Calculation Period
    Termination of Employment
    まず英語の辞書を探しました。使う予定もなかった本がよくあったと思いますが、奇跡的に見つかりました。ひとつひとつ単語を調べると、「解雇」などと物騒な単語があり、心細くなってきます。
    例えばこんな文章も、わけが分かりません。(今となっては、何でもない文章なのですが・・・)
    Two half vacation days shall be calculated as one full vacation day,
    but half days may only be taken a total of twelve times.
    shall
    mayと、どう違うんだ???
    ・・・・
    「この契約書を邦訳しなさい。上手く邦訳できたら採用します。」などと言われているのではありません。「おめでとう君を採用します。契約書にサインしてください」と言われただけなのです。にもかかわらず、パニックになるほど、英語が【できません】でした。
    ****
    会社の同僚の驚きと軽蔑のまなざしに「いよいよ英語が必要であること」にとうとう気づきました。英語で有名な東京にある大学を出たというその同僚に教えを乞いました。
    「今から、仕事で使える英語を勉強するために、どんなテキストで勉強したらいいだろうか?」ん~と、しばし考え込んだあと、教えてくれました。
    「Cambridgeの文法の本(写真)がいいかも、やってみます?」
    しばらく勉強してみると、あの難解だった契約書の英語がそんなに難しくなくなっていました。仕事でも、思いのほか困らなくなってきていました。
    * * *
    しかし,私の英語は、かなり限定された範囲のみで有効でした。仕事で使う英語は、毎日ほぼ同じセンテンスの繰り返しです。業界で頻繁に使われているabbreviation(短縮した単語や文。たとえばASAPなど)も慣れれば、何とかできるものです。ところが、日常会話はできないのです。
    当時フランクフルトに住んでいましたが、街中で観光客と思わしき人から英語で【道】を訊かれても「英語」では答えることができませんでした。
    「ドイツ語、話せますか?」と言ってしまいます。
    仕事で英語を使えても、道案内もできないし、ましてや様々な単語が出てくる世間話など一切できません。
    * * *
    さて、私は英語ができないのでしょうか?できるのでしょうか?
    (つづく)


  • 今日の一言 4月22日 外国語教育について思うこと(2)

    公開日
    2025/04/22
    更新日
    2025/04/22

    校長雑感 一隅を照らす



    著者・ロンブ・カトー
    5か国語の同時通訳者。10か国語の通訳者。(その言語の中には日本語、中国語も含まれています。)
    ***
    何か自分に都合の良い勉強法が書いてあるんじゃないかと、とても甘い考えでこの本を手に取りました。
    ***
    もちろん、そんな姑息な料簡は、彼女の厳しさによって、木端微塵に砕かれました。
    ***
    〇この本はどんな人に向いていて、どんな人に向いていないか、
    この本は、実際には存在しない「平均的学習者」に向けられています。
     ・・中略・・
    外国語の学習に無限の時間を費やすことができる人、そういう人向けの学習方法は、この本のテーマには不適当でしょう。もし、一日一時間半も犠牲にすることができない状態の人ならば、私の提案する方法ではお望みの結果に到達することはできないでしょう。 というわけで、この二つの極端な事情は、平均的学習者の条件からはずされます。

    〇誠実な人々は、ものごとを簡単に一般化しないものです。しかし、統計的数字に基づいた確かな結論があります。すなわち、外国語学習に必要な最低限の時間は、週平均10~12時間なのです。

    〇外国語の学習が上手くいくか、いかないかは、ひとえに次のような単純な方程式によっ て決まってくるのです。
      消費された時間+関心度=結果
      しかしこれに、否定的な尺度が欠けていると思われます。それは羞恥心です。
      消費された時間+関心度÷羞恥心=結果
     * * * *
    仕事をしている私のような学習者にとって、冒頭から書かれているこの文章(週12時間ほどの学習時間)は、厳しいものでした。
    結局こんなすごい人がいるんだな・・・と「偉人伝」を読んでいるような気持ちになってしまいました。
    ・ ・ ・
    よく英語ができる人・・と言う表現がありますが、「できる」とは、どんなことをいうのでしょうか。
    ちなみに、私のドイツ語は、かなり狭い範囲でのみ有効なものです。英語に至っては・・・・
    (つづく)


  • 今日の一言 4月21日 外国語教育について思うこと (1)

    公開日
    2025/04/21
    更新日
    2025/04/21

    校長雑感 一隅を照らす



    外国語には悩まされてきました。「語学習得」ということに関心を持ち始めたころ(必要にも迫られて)、
    何か少しでもヒントが欲しいという気持ちから、語学の天才・達人と言われる人を探しました。
    〇森鴎外・新渡戸稲造・岡倉覚三・南方熊楠 などなど・・・

    その中でも印象的で、親しみやすかったのは、ハインリッヒ・シュリーマンでした。
    彼の勉強方法は次のようだったそうです。
    1 非常に多く音読する
    2 決して翻訳しない
    3 毎日1時間
    4 常に興味ある対象について作文を書く
    5 作文を語学教師の指導によって訂正する
    6 前日直されたものを暗記して、次の時間に暗唱する

    更に興味深かったのが「何か国語にも訳されている本(名著、または好きな本)をいろいろな言葉で読む」
    というものでした。私も、シュリーマンのやり方を真似してみよう!!

    ドイツ語を勉強しなくてはならなかった私は、ドイツ語と日本語で出版されている本を探しました。
    モモ(ミヒャエル・エンデ)
    星の王子様(アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ)
    武士道(新渡戸稲造)
    自省録(マルクス・アウレリウス)
    ゲーテとの対話(J.P.エッカーマン)
    七つの習慣(スティーブン・R・コヴィー)
    ・・・・etc.
    まだまだいっぱいあります。かたっぱしから手を出しました。時々うまく行くことがありましたが、でも長続きしません。
    私が失敗した理由は、簡単でした。中途半端な真似しかしなかったから・・、少しでもうまくいきそうかな?と思えたときは「音読」を一生懸命したときでしたが、でも、何日も続きません。
    「2~6」については、全く出来ませんでした。こんな風に、私の語学学習の挫折の歴史がはじまりました。
    ・・・・
    そんな頃に、出会った本が「わたしの外国語学習法」(ロンブ・カトー著)でした・・・・
    (つづく)