堺市立三国丘中学校

時を守り 場を清め 礼を正す
「主体的な学びの場の創造」「防災という教育を通して”命”を学ぶ」
【4月30日 PTA・後援会総会/部活動説明会】

校長雑感 一隅を照らす

  • 今日の一言 4月29日 外国語教育について思うこと (6)

    公開日
    2025/04/30
    更新日
    2025/04/30

    校長雑感 一隅を照らす



    「日本が必要としているのは・・・外国人に道を訊かれて英語で答えられる人材などではない。」
    「日本が必要としているのは・・・専門家相手の英語の読み書きで事足りる学者でさえもない。」
    「日本が必要としているのは・・・世界に向かって、一人の日本人として、英語で意味のある発言ができる人材である」

    『日本語が亡びるとき 英語の世紀の中で』より(水村美苗著・20081031日・筑摩書房)
    * * *
    「企業が、そして日本の社会が求めている日本人の英語力は、日常会話が何とかできるという初級レベルではなく
    英語で仕事ができる中級以上のレベルなのです。
     ・・中略・・
    私も水村美苗の見方に賛成です。今求められているのは、日本のことをよく知り、社会や世界の動きなどについて自分自身の意見を持ち
    、それを外国人にわかるように発言できる、そのような英語力なのです。」
     『英語で話すヒント』から(小松達也著・岩波新書)
    * * *
    一昔前の日本は、西洋の文化・文明を取り入れることに懸命でした。そのためには、語学が必要でした。英語をはじめ、ヨーロッパの言語を理解する必要がありました。
    そのための語学力を求められたのです。
    ・  ・  ・
    今は、どうでしょうか?今では、外国語で話し、自分自身の意見や考えを説明したり、説得したりする語学力まで求められているのではないでしょうか。
    『英語を・・話す』・・・から  『英語で・・話す』へ
    助詞一つのわずかの差ですが、意味はとても大きく違ってきます。
    *** *** ***
    日本の子どもたちが成長し、社会人になった時、何のために外国語(英語)を使うようになっているのか、
    私は明確なイメージを持つことができません。
    ・・・
    流されるように英語教育がどんどん義務教育の中に入ってきています。
    英語を学習する意味を考え続けたいと思っています。

    (12年前の校長雑感・大阪市立桃陽小学校の記事より引用)

  • 今日の一言 4月28日 外国語教育について思うこと (5)

    公開日
    2025/04/28
    更新日
    2025/04/28

    校長雑感 一隅を照らす



    「何を言っているか、さっぱりわからない。」「とにかく、私の言っていることを信じればいいんです。ドイツのことやドイツ語で書かれた法律を理解することは、
    あなたにとっては難しいでしょう。ドイツの法律に従っていては工期を守ることはできません。私を信用してください」
    校舎の屋根の上にソーラーパネルを取り付ける業者の責任者が、私に向かってこう言い放ちました。

    ***ミュンヘン日本人国際学校の理事・事務局長時代のお話です***

     私は、腹が煮えくり返るような思いで、言い返しました・・
    ≪あなたは、先日まで私の言うことを100%理解できると言っていたではないか。突然、私の言っていることが分からないというのか?≫
    ところが、彼はニヤッと笑って肩をすくめるしぐさをしただけでした。
    ・  ・  ・
    この程度のことに負けるほど、私は弱くはありませんでした。この手のドイツ人に鍛えられています。言葉が通じない・・と言い切る人は、相手とのコンタクトを拒絶した人です。
    このとき私は、友だちと話しているのでも、家族と話をしているのでもありません。ビジネスの場で交渉をしているのです。マナーというものもあります。

    彼の様子から、はなしても無駄だと思った私は、こう続けました・・・ 
    ≪わかった、では弁護士を介在させよう。私が信じるのは、ドイツの法律を守る人間だ。あなたは、ドイツ人だろう。法律がよくないと言うなら法律を変えればいい。私は、外国人だ。あなたたちが決めた法律を変えることはできない。どんな小さな活動においても法律を守り、誰に対しても説明する義務が運営責任者の私にはある。私の言っていることが、わからないと言うなら、
    もう私とあなたは、これ以上話すことはない。
    ・ ・ ・
    一時期のドイツ政府は、原子力発電から太陽光エネルギーの活用へと大きく舵をとっていました。
    (写真:ドイツにおけるソーラー設置台数の推移。単位=1000。これは2011年から12年のはなし) 
    施策として、期限はありましたが、太陽光発電による売電やソーラーシステムの設置などへの様々な優遇措置をとっていました。前述の業者は、雨後の竹の子のように出現した
    ソーラー設置業者のひとつでした。優遇措置の期間がまさに終わりを告げようとしていた時期。この業者の担当者は「工期を守ること」に必死だったのです。
    ・ ・ ・
    弁護士を交えての交渉は、私の一方的な勝ちでした。彼らは、設置作業を終わらせることもできず倒産しました。もし、あのとき縁を切っていなければ・・・
    * * *
    人間関係が友好的な場合は不十分な語学力でも何ら問題はありません。しかし、ひとたび関係がこじれると、その国の言葉を完璧に操らない限り、ここで話をしたようなことが起こり得ます。
    ・ ・ ・ ・
    いくつか例をあげたおはなしは、もちろん外国に住んだ場合です。外国語の力が必要なことは間違いありません。では、日本人または大阪の子どもたちは、どんな語学力(英語)が必要なのでしょうか。


    生活言語?
    学習言語?
    ビジネス英語?
    (つづく)



  • 今日の一言 4月25日 外国語教育について思うこと (4)

    公開日
    2025/04/25
    更新日
    2025/04/24

    校長雑感 一隅を照らす



    2014年に日本・大阪に来るまでの私は、ドイツ・ミュンヘンにある日本人学校(日系企業の駐在子弟が通学する全日制の学校。小中一貫校)の事務局長・理事として学校運営に携わっていました。主な業務は、学校運営上必要な「運営母体の理事会運営・学校の許認可・財務・人事・営繕など」です。
    特に、理事会の運営が大きな仕事でした。理事会のメンバーは全員、日本人。在ミュンヘンの日系企業の現地法人の社長や支店長の方々です。
    彼らと一緒に学校を運営していきます。月に一度の理事会では、様々なことを話します。
    たとえば、
     学校の許認可について、ミュンヘン市からの要望への対応。
     自前で立てた校舎建設時に起こった建設会社との係争の処理。
     スクールバス会社の入札について。
     現地採用者の雇用契約書の内容について。
     ・・・などなど
    具体的に何をするのか・・・
    たとえば
     ミュンヘン市の学校局(教育委員会)やバイエルン州の教育省からの手紙を日本語に訳し、要約を理事会で説明し、対応策を協議します。今度はその結果を先方にドイツ語の手紙にして回答します。というとすごいようですが、ドイツ語から日本語への要約はできても、日本語からドイツ語へは簡単ではありません。私がするのは準備だけです。
    学校で雇っているドイツ人の女性事務職員に理事会での協議内容と回答をドイツ語で伝えます。彼女が作成した文書が間違いなく理事会の意思を伝える内容になっているかチェックします。
    ここで私の必要なドイツ語能力は、次のようなものです。
     ・ドイツ語の文書を理解できること。
     ・それを日本の人たちがわかるように、日本語に要約できること。
     ・日本語をおおよそのドイツ語に訳し、こちらの意図が正しく通じるドイツ語の文書をドイツ人に書かせること。正確に格調高く書けているかなどを、チェックできること。
    私の語学力で仕事上問題は起きませんでしたし、役には立てたように思います。
    しかし、とてもはお恥ずかしいはなしですが・・・
    私は、帰国する最後までドイツ人のような発音もできなかったし、ドイツ人のようなドイツ語を話すことも書くこともできませんでした。
    ドイツ生まれでドイツ育ちの息子の前で、ドイツ語を話すと嫌がられたものです。
    ・  ・  ・  ・
    さて、私はドイツ語ができたのでしょうか?
    それとも、できなかったのでしょうか?
    (つづく)


  • 今日の一言 4月24日 外国語教について思うこと(3)

    公開日
    2025/04/24
    更新日
    2025/04/24

    校長雑感 一隅を照らす



    大きな意味での「転職」を経験したのは、今から30年ほど前。
    それまで全く興味のなかった業種へ、それこそ生きる為に転職しました。
    ・・・・
    なんと、契約書は英語で書かれていました。日系の企業だったので面喰いました。
    それまで、私にとって外国語とは「ドイツ語」のことで、「英語」ではありません。
    「英語」は、主に「記憶力と勤勉さをテストする」ものでした。高校受験・大学受験に合格し、大学を卒業するためです。
    ・・・・
    契約書に書かれてあるのは、もちろん「物語」でもなく「エッセイ」でもなく「格言」でもありません。
    見慣れない単語や文体が並んでいます。
    Employment Period
    Work to be Performed
    Annual Paid Vacation Days
    Salary Calculation Period
    Termination of Employment
    まず英語の辞書を探しました。使う予定もなかった本がよくあったと思いますが、奇跡的に見つかりました。ひとつひとつ単語を調べると、「解雇」などと物騒な単語があり、心細くなってきます。
    例えばこんな文章も、わけが分かりません。(今となっては、何でもない文章なのですが・・・)
    Two half vacation days shall be calculated as one full vacation day,
    but half days may only be taken a total of twelve times.
    shall
    mayと、どう違うんだ???
    ・・・・
    「この契約書を邦訳しなさい。上手く邦訳できたら採用します。」などと言われているのではありません。「おめでとう君を採用します。契約書にサインしてください」と言われただけなのです。にもかかわらず、パニックになるほど、英語が【できません】でした。
    ****
    会社の同僚の驚きと軽蔑のまなざしに「いよいよ英語が必要であること」にとうとう気づきました。英語で有名な東京にある大学を出たというその同僚に教えを乞いました。
    「今から、仕事で使える英語を勉強するために、どんなテキストで勉強したらいいだろうか?」ん~と、しばし考え込んだあと、教えてくれました。
    「Cambridgeの文法の本(写真)がいいかも、やってみます?」
    しばらく勉強してみると、あの難解だった契約書の英語がそんなに難しくなくなっていました。仕事でも、思いのほか困らなくなってきていました。
    * * *
    しかし,私の英語は、かなり限定された範囲のみで有効でした。仕事で使う英語は、毎日ほぼ同じセンテンスの繰り返しです。業界で頻繁に使われているabbreviation(短縮した単語や文。たとえばASAPなど)も慣れれば、何とかできるものです。ところが、日常会話はできないのです。
    当時フランクフルトに住んでいましたが、街中で観光客と思わしき人から英語で【道】を訊かれても「英語」では答えることができませんでした。
    「ドイツ語、話せますか?」と言ってしまいます。
    仕事で英語を使えても、道案内もできないし、ましてや様々な単語が出てくる世間話など一切できません。
    * * *
    さて、私は英語ができないのでしょうか?できるのでしょうか?
    (つづく)


  • 今日の一言 4月22日 外国語教育について思うこと(2)

    公開日
    2025/04/22
    更新日
    2025/04/22

    校長雑感 一隅を照らす



    著者・ロンブ・カトー
    5か国語の同時通訳者。10か国語の通訳者。(その言語の中には日本語、中国語も含まれています。)
    ***
    何か自分に都合の良い勉強法が書いてあるんじゃないかと、とても甘い考えでこの本を手に取りました。
    ***
    もちろん、そんな姑息な料簡は、彼女の厳しさによって、木端微塵に砕かれました。
    ***
    〇この本はどんな人に向いていて、どんな人に向いていないか、
    この本は、実際には存在しない「平均的学習者」に向けられています。
     ・・中略・・
    外国語の学習に無限の時間を費やすことができる人、そういう人向けの学習方法は、この本のテーマには不適当でしょう。もし、一日一時間半も犠牲にすることができない状態の人ならば、私の提案する方法ではお望みの結果に到達することはできないでしょう。 というわけで、この二つの極端な事情は、平均的学習者の条件からはずされます。

    〇誠実な人々は、ものごとを簡単に一般化しないものです。しかし、統計的数字に基づいた確かな結論があります。すなわち、外国語学習に必要な最低限の時間は、週平均10~12時間なのです。

    〇外国語の学習が上手くいくか、いかないかは、ひとえに次のような単純な方程式によっ て決まってくるのです。
      消費された時間+関心度=結果
      しかしこれに、否定的な尺度が欠けていると思われます。それは羞恥心です。
      消費された時間+関心度÷羞恥心=結果
     * * * *
    仕事をしている私のような学習者にとって、冒頭から書かれているこの文章(週12時間ほどの学習時間)は、厳しいものでした。
    結局こんなすごい人がいるんだな・・・と「偉人伝」を読んでいるような気持ちになってしまいました。
    ・ ・ ・
    よく英語ができる人・・と言う表現がありますが、「できる」とは、どんなことをいうのでしょうか。
    ちなみに、私のドイツ語は、かなり狭い範囲でのみ有効なものです。英語に至っては・・・・
    (つづく)


  • 今日の一言 4月21日 外国語教育について思うこと (1)

    公開日
    2025/04/21
    更新日
    2025/04/21

    校長雑感 一隅を照らす



    外国語には悩まされてきました。「語学習得」ということに関心を持ち始めたころ(必要にも迫られて)、
    何か少しでもヒントが欲しいという気持ちから、語学の天才・達人と言われる人を探しました。
    〇森鴎外・新渡戸稲造・岡倉覚三・南方熊楠 などなど・・・

    その中でも印象的で、親しみやすかったのは、ハインリッヒ・シュリーマンでした。
    彼の勉強方法は次のようだったそうです。
    1 非常に多く音読する
    2 決して翻訳しない
    3 毎日1時間
    4 常に興味ある対象について作文を書く
    5 作文を語学教師の指導によって訂正する
    6 前日直されたものを暗記して、次の時間に暗唱する

    更に興味深かったのが「何か国語にも訳されている本(名著、または好きな本)をいろいろな言葉で読む」
    というものでした。私も、シュリーマンのやり方を真似してみよう!!

    ドイツ語を勉強しなくてはならなかった私は、ドイツ語と日本語で出版されている本を探しました。
    モモ(ミヒャエル・エンデ)
    星の王子様(アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ)
    武士道(新渡戸稲造)
    自省録(マルクス・アウレリウス)
    ゲーテとの対話(J.P.エッカーマン)
    七つの習慣(スティーブン・R・コヴィー)
    ・・・・etc.
    まだまだいっぱいあります。かたっぱしから手を出しました。時々うまく行くことがありましたが、でも長続きしません。
    私が失敗した理由は、簡単でした。中途半端な真似しかしなかったから・・、少しでもうまくいきそうかな?と思えたときは「音読」を一生懸命したときでしたが、でも、何日も続きません。
    「2~6」については、全く出来ませんでした。こんな風に、私の語学学習の挫折の歴史がはじまりました。
    ・・・・
    そんな頃に、出会った本が「わたしの外国語学習法」(ロンブ・カトー著)でした・・・・
    (つづく)

  • 今日の一言 卒業式って・・ 3月5日

    公開日
    2025/03/05
    更新日
    2025/03/05

    校長雑感 一隅を照らす

    全学年の学年主任が想いを込めて作成しているのが、≪学年だより≫です。

    3月3日に配布された3年生の≪学年だより≫をご紹介します。写真は、今日から始まったの卒業式練習での先生たちの表情です。

    ***第76期生学年だより 『創造』 第47号***

    全員が揃う卒業式に・・


    5日(水)から卒業式練習が本格的に始まります。中学校での最後の授業、学び。三年間の集大成ともいうべき卒業式。卒業証書授与も合唱も、自分たちの力で立派にやり遂げてほしいと願っています。

     さて、学年通信でも折に触れて最初の学年集会で話したことを記載してきました。主任としての想いは「全員が揃う卒業式にしたい」ということです。「20年近く教師をしてきて全員が揃った卒業式を見たことがない。今日(4月最初)の集会にも参加できていない人がいる。でも休んでいる人も含めて76期生であることをみんなには忘れないでほしい。今日休んでいる人が卒業式には参加できるようにいつでも迎える用意をしておいてほしい。」なんて話をしました。

     今、学校に来づらくて休んでいるあなた。先生たちは待っています。76期生みんなで待っています。こんな伝え方がプレッシャーになるかもしれないという思いを持ちながらも伝えられずにはいられません。あなたも含めて全員で卒業式を迎えましょう。

    卒業式って・・・ 

    学びの目的は「正しくものを考え、行動する力を身につけ、人格の完成をめざす」ことです。そのために通う場が学校です。卒業とは学校教育で用意された学習過程を終えること。この先は上級の教育課程に進むか、自分で自分を高めていくことになります。

     「卒業式」とは、その集団の一員としての自分がどんな存在だったかを表す「過去の提示」の場です。同時に、この先、自分をどうしていきたいか、「未来の覚悟」を表明する場でもあります。そして卒業式の練習や卒業式を通して、「望ましい集団生活」の学びをすることが最大の目的なのです。

     例えば、卒業証書をもらうときは、はっきり返事をして両手で受け取りますね。3年間の学びを証明するものを「大事なもの」と考えること、そしてそれを「大事なもの」として扱おうとする意識と態度が養われていること。これらの学びの成果を「はっきりした返事」「卒業証書を両手で受け取る」といった仕草で表現するのです。このように卒業式のすべての行為には意味があるのです。

     少し硬い話になりましたが、卒業式の主役は言うまでもなく君たちです。ですが、指導してきた私たち教員や、義務教育を終えるこの年まで君たちを育ててきた家族の皆さんにとっても、つまり、この行事にかかわるすべての人にとって卒業式は意味のある式典です。君たちだけではなく君たちにかかわったすべての人が感動できる卒業式を創る、そんなことも考えられる76期生であってください。

  • 今日の一言 1月30日 【映画】「有り、触れた、未来」について 監督の想い

    公開日
    2025/01/30
    更新日
    2025/01/30

    校長雑感 一隅を照らす

    (写真:上から三段目・左:舞木ひと美さん 右:山本監督  刈谷市にて)
    * * * * * * * * * *
    年の瀬も押し迫った令和6年12月28日(土)、私は、愛知県・刈谷市にいました。映画『有り、触れた、未来』の上映会があったからです。

    この映画は、令和7年3月2日(日)に青少年健全育成協議会主催で上映されます。わざわざ刈谷市まで行ったのは、会場運営など現場を見たいという思いがあったからです。

    映画はもちろん(何度も観ています)、会場運営も素晴らしく、しっかり準備をして開催されているなという印象でした。今回、何よりもインパクトがあったのは、山本監督と俳優・舞木ひと美さんによる「アフタートーク」でした。

    【山本監督の想い】
    アフタートークで監督と舞木ひと美さんが語ったことを、私が言葉にするのは、簡単ではありません。ほぼ同じ想いを、同映画の公式サイトで監督自ら綴っていますので、ご紹介します。(「つづきを読む」に進んでください)

    3月2日は、舞木ひと美さんがアフタートークでお話をされる予定です!!

    関連記事(予約→https://mikunigaoka-j.studio.site)
    ↓ ↓ ↓
    青少年健全育成協議会・映画会 映画『有り、触れた、未来』3月2日(日)

  • 今日の一言 1月27日 映画「小学校 〜それは小さな社会〜」について

    公開日
    2025/01/27
    更新日
    2025/01/29

    校長雑感 一隅を照らす

    6歳児は世界のどこでも同じようだけれど、

    12歳になる頃には、

    日本の子どもは“日本人”になっている

    日曜日に映画を観にいきました。
    https://shogakko-film.com/
    映画「小学校 〜それは小さな社会〜」

    コロナ禍の“ある”一年間、東京都の世田谷区の小学校の1年生と6年生の日々を記録したドキュメンタリータッチの映画です。

    海外で評判になっていると言われて、気になっていましたが、旧知の校長仲間から薦められて・・・。

    ******
    私は、2014年度から2023年度の9年間、大阪市立の小学校の校長でした。
    小学校での日々の活動や学習を通して、ピカピカの1年生が学校に慣れていく過程や、6年生が卒業に向かってどんどん成長していく驚異的な様子を見てきました。

    学校の先生にとって、毎年ほぼ同じ学習・活動が繰り返されるこの1年間も、子どもたちにとっては、ドキドキ・ハラハラの初めての体験だらけ、チャレンジ・冒険の1年間です。
    毎年同じようなことを繰り返しているようでも、子どもたちが違えば、先生たちも、実は!子どもたちと一緒になってドキドキ・ハラハラするのです。毎年毎年が新しく、毎日毎日が挑戦であり・冒険の日々でもあるのです。そして、毎年、卒業式では、6年生の担任の先生が大泣きするのでした。

    ****
    驚きました。
    この映画の中の、世田谷の小学校の1年間の様子は、大阪の小学校とほとんど同じなのです。子どもたちへの先生たちの声がけ、活動の目的から内容(入学式・運動会・委員会活動・宿泊行事・給食・卒業式)何から何まで同じでした。

    1年生の子どもたちを見守り、受け止める先生の暖かな視線や必ずしゃがんで話をする姿勢。
    6年生の子どもたちには、時に厳しく要求し指導するけれど、もう少し子ども扱いしてもいいのかな・・と葛藤しながら、卒業式を迎える先生。
    他にも様々なシーンで、共通した子どもたちと先生の成長の毎日が描かれていました。
    その一つ一つに、日本の小学校の教育の本質が見えてくるようでした。
    ****
    東京・世田谷の小学校と大阪・天王寺と平野の小学校が同じなら、堺の小学校や全国の小学校も同じなのかもしれません。

    11年前、27年間暮らしていたドイツを引き上げ、日本に帰ってきました。
    日本の教育の素晴らしいところを変えてはいけない!という強い想いがあったからです。

    今でもその想いは変わっていません。この映画が、なぜ海外で驚きと賞賛をもって向かい入れられたのか?日本の教育は、とかく批判的に語られます。自己を省みることは大切です。しかし、風土や人々が異なる国と比較して、違う物差しで、自分たちを否定的に見てしまうのは、どうかなと思います。

    ****
    私たちひとり一人が社会を作っています。私たちひとり一人の規範意識や道徳心や向上心などは、どこで培われてきたのでしょうか?このままの学校でいいのでしょうか?変えたほうがいいのでしょうか?

    もしお時間があれば、この映画を見ていただき、お話ができたらいいですね。

    (同じ日に、もう一本観た映画があります。こちらも秀逸な作品でした!)

  • 今日の一言 12月25日

    公開日
    2024/12/25
    更新日
    2024/12/27

    校長雑感 一隅を照らす

    私が11年前まで住んでいたドイツ(バイエルン州・ミュンヘン)では、12月24日は半日にする会社や事務所がたくさんあります。そして25日と26日は祭日です。

    日本と違って、24日から26日の街中はひっそりとします。

    写真は11月末から12月24日のお昼までの期間、ドイツ中いたるところで見かけるクリスマスマーケットです。この華やかなマーケットも24日の午後には店じまいです。

    キリスト教が生活の中心にある国らしい風習です。

    *** ***

    ドイツにも「クイズ100人に聞きました!」という番組が昔ありました。

    その中の質問

    「家族や親せきが集まるのはどんな時?」

    答えとして様々な記念日が出てきました。
    結婚式、お葬式、ジルベスタ—(大晦日・元日)、洗礼式、誕生日・・・などなど

    でも、最も多かった答えは

    「クリスマス」

    でした。

    「クリスマス」は、ふるさとで親戚中が集まる日なのです。

    クリスマスが過ぎると、普通の日に戻り、日本とは逆に大晦日・元日は、とてもにぎやかです。

    三中の子どもたちとご家族は、どんなクリスマスをお過ごしですか?ニコニコしている顔が目に浮かびます。いいですね。

    ドイツでも、この時期に街中で聞こえてくる挨拶は、おなじみの言葉です。
    Frohe Weihnachten und schönes neues Jahr!

    ハッピークリスマス!よいお年を!