堺市立新檜尾台小学校

令和6年7月

公開日
2024/11/06
更新日
2024/11/06

校長室より

「過去を変えることは出来ない」と世の中では当たり前のように言われますが,私は,「過去に対するおもい(思い・想い)は変えることが出来る」と日頃考えています。本校に着任した昨年4月,本校の歴史を学ぶ中で,私の人生で衝撃的な事実を知ると共に28年前の新聞記事の一面が鮮やかに蘇ったのです。そして,起きた過去の事実は変えることは出来なくても,後世の人が「その事実を知り,その事実に向き合い,各人が「おもい」を持つ或いは「おもい」を変えることは出来る」と「過去」に対する大きな意識変革を私にもたらしたのです。

 1996年7月12日の給食が原因とされる「学童集団下痢症」が堺市の多くの小学校で起きました。児童7892人,教職員等1631人の合計9523人の方が腸管出血性大腸菌O157に感染し,3人の児童が亡くなられ(2015年10月には溶結性尿毒症症候群(HUS)を発症した方が後遺症により亡くなられています),併発したHUSにより多くの方々が28年経った今でも後遺症に苦しんでおられると聞きます。
 本校において,当時の全校児童737人のうち,腹痛や激しい下痢で病院に行った人は,実に317人にのぼり,症状の重い17人が入院されたとのことです。近くの病院では入院患者が増えたために対応しきれなくなり,救急車で遠く大阪市内まで運ばれる人もおられたそうです。当時の児童や保護者の皆様・地域の方々・教職員が,入院された17人の方の1日も早い回復を祈っていましたが,入院された児童のうち,お一人が翌年1997年2月1日に亡くなられました。この悲しくつらい出来事を「二度と起こさない」という「誓い」を込めて,校庭に木を植え「友情の木」と名付けられました。

本校の現在の多くの児童は,その亡くなられた児童のお名前を知っています。保護者の方がその起きたことをお子様に伝えていただいている証であり大変ありがたいことと思っています。学校においては「友情の木」や図書館に作られたその亡くなられた児童のお名前を付けた文庫もあり,7月の命の尊さを考える集会で亡くなられた児童のご冥福を祈りながら,そのことを受け継いだ者として如何に後世に伝えるかを学校全体で意識しています。更に堺市教育委員会事務局の皆様も用事で本校を訪れた際,多くの方が「友情の木」を見て,亡き児童の冥福を祈っていただく等,堺市全体でこの悲しい事実を忘れず後世に伝えるかを考えて行動しております。