本校の沿革の概要
- 公開日
- 2021/04/01
- 更新日
- 2021/04/01
沿革史
本校は昭和50年(1975年)の4月に開校しました。
開校当初は,ニュータウンの他の中学校もそうであったように,順次住宅の完成・入居で他校から生徒が転入してきました。最初は校長以下教職員が14名(用務担当職員2名を含む),生徒数も4月段階で約60名,その年度末で112名でした。生徒も先生もみんな顔なじみで「ファミリースクール」とも言われていました。
当時は泉北高速鉄道が栂・美木多駅で折り返していたため,赤坂台地区との間は栂・美木多駅からバスで移動していました。やがて,泉北ニュータウン光明池地区の開発がどんどんと進み,昭和52年に泉北高速鉄道は光明池駅まで延伸しました。
それと合わせ,赤坂台,新檜尾台の入居者も増え,生徒数は増える一方でした。教室が不足しないようにと,昭和53年には西棟が竣工,また,開校以来待ち望んでいた体育館も完成,昭和54年にはプールも竣工し,その夏には生徒たちが元気いっぱいに水しぶきをあげました。
生徒数はその後も増え続け,昭和55年南1棟竣工,昭和57年南2棟竣工,昭和58年南1棟増築完成,S59年にも南1,2棟のさらなる増築が完成する運びとなりました。生徒数のピークを迎えたのは昭和62年度で,1689名もの生徒が在籍する「マンモス校」となりました。
入居当時は「子育て世代」も多かったこの地域も,やがて時を経ていくと本校の生徒数も徐々に減少し,たくさんの生徒で学校中,校舎のすみずみまでもがにぎやかだったころとは雰囲気も変わってきました。
空き教室は他の用途の教室へと転用してさまざまな教育活動が展開できるように整備しました。その後,普通教室へもエアコンを設置したり,また,外壁も順次補修して新たに塗装しなおしたり,トイレの改修工事をおこなったりするなど,生徒たちが安心して快適に学べるよう,安全面や清潔面にも配慮した環境の維持にも努めています。