堺市立三国丘中学校

時を守り 場を清め 礼を正す

校長雑感 一隅を照らす

  • 今日の一言 卒業式 式辞について (1)

    公開日
    2026/03/04
    更新日
    2026/03/04

    校長雑感 一隅を照らす

    いよいよ,卒業式の練習が始まりました。この時期から3年生は,卒業生と呼ばれ始めます。私は,”正心館”で卒業生の顔を見ながら,まだ小学生の面影いっぱいの入学式から今日までの3年間の彼らを思い返しています。卒業生たちも,同じ想いになっていることではないでしょうか。

    私にとっては,12年回目の卒業式。この時期から卒業式での式辞を本格的に考え始めます。校長式辞は,学校教職員の想いを代表して卒業生に伝える大切なメッセージです。式辞を書くにあたって,必ず名だたる有名人の大学や他の学校での式辞を検索して参考にしています。今まで一番,感動したのは,スティーブ・ジョブスの式辞でした。そして,私にとっては,日頃から何度も読み返す名文でもあります。

    ******

    世界でもっとも優秀な大学の卒業式に同席できて光栄です。私は大学を卒業したことがありません。実のところ、きょうが人生でもっとも大学卒業に近づいた日です。本日は自分が生きてきた経験から、3つの話をさせてください。たいしたことではない。たった3つです。

    まずは、点と点をつなげる

    、ということです。私はリード大学をたった半年で退学したのですが、本当に学校を去るまでの1年半は大学に居座り続けたのです。ではなぜ、学校をやめたのでしょうか。

    私が生まれる前、生みの母は未婚の大学院生でした。母は決心し、私を養子に出すことにしたのです。母は私を産んだらぜひとも、だれかきちんと大学院を出た人に引き取ってほしいと考え、ある弁護士夫婦との養子縁組が決まったのです。ところが、この夫婦は間際になって女の子をほしいと言いだした。こうして育ての親となった私の両親のところに深夜、電話がかかってきたのです。「思いがけず、養子にできる男の子が生まれたのですが、引き取る気はありますか」と。両親は「もちろん」と答えた。生みの母は、後々、養子縁組の書類にサインするのを拒否したそうです。私の母は大卒ではないし、父に至っては高校も出ていないからです。実の母は、両親が僕を必ず大学に行かせると約束したため、数カ月後にようやくサインに応じたのです。

    そして17年後、私は本当に大学に通うことになった。ところが、スタンフォード並みに学費が高い大学に入ってしまったばっかりに、労働者階級の両親は蓄えのすべてを学費に注ぎ込むことになってしまいました。そして半年後、僕はそこまで犠牲を払って大学に通う価値が見いだせなくなってしまったのです。当時は人生で何をしたらいいのか分からなかったし、大学に通ってもやりたいことが見つかるとはとても思えなかった。私は、両親が一生かけて蓄えたお金をひたすら浪費しているだけでした。私は退学を決めました。何とかなると思ったのです。多少は迷いましたが、今振り返ると、自分が人生で下したもっとも正しい判断だったと思います。退学を決めたことで、興味もない授業を受ける必要がなくなった。そして、おもしろそうな授業に潜り込んだのです。

    とはいえ、いい話ばかりではなかったです。私は寮の部屋もなく、友達の部屋の床の上で寝起きしました。食べ物を買うために、コカ・コーラの瓶を店に返し、5セントをかき集めたりもしました。温かい食べ物にありつこうと、毎週日曜日は7マイル先にあるクリシュナ寺院に徒歩で通ったものです。

    それでも本当に楽しい日々でした。自分の興味の赴くままに潜り込んだ講義で得た知識は、のちにかけがえがないものになりました。たとえば、リード大では当時、全米でおそらくもっとも優れたカリグラフの講義を受けることができました。キャンパス中に貼られているポスターや棚のラベルは手書きの美しいカリグラフで彩られていたのです。退学を決めて必須の授業を受ける必要がなくなったので、カリグラフの講義で学ぼうと思えたのです。ひげ飾り文字を学び、文字を組み合わせた場合のスペースのあけ方も勉強しました。何がカリグラフを美しく見せる秘訣なのか会得しました。科学ではとらえきれない伝統的で芸術的な文字の世界のとりこになったのです。

    もちろん当時は、これがいずれ何かの役に立つとは考えもしなかった。ところが10年後、最初のマッキントッシュを設計していたとき、カリグラフの知識が急によみがえってきたのです。そして、その知識をすべて、マックに注ぎ込みました。美しいフォントを持つ最初のコンピューターの誕生です。もし大学であの講義がなかったら、マックには多様なフォントや字間調整機能も入っていなかったでしょう。ウィンドウズはマックをコピーしただけなので、パソコンにこうした機能が盛り込まれることもなかったでしょう。もし私が退学を決心していなかったら、あのカリグラフの講義に潜り込むことはなかったし、パソコンが現在のようなすばらしいフォントを備えることもなかった。もちろん、当時は先々のために点と点をつなげる意識などありませんでした。しかし、いまふり返ると、将来役立つことを大学でしっかり学んでいたわけです。

    繰り返しですが、将来をあらかじめ見据えて、点と点をつなぎあわせることなどできません。できるのは、後からつなぎ合わせることだけです。だから、我々はいまやっていることがいずれ人生のどこかでつながって実を結ぶだろうと信じるしかない。運命、カルマ…、何にせよ我々は何かを信じないとやっていけないのです。私はこのやり方で後悔したことはありません。むしろ、今になって大きな差をもたらしてくれたと思います。

    2つ目の話は愛と敗北です。

    私は若い頃に大好きなことに出合えて幸運でした。共同創業者のウォズニアックとともに私の両親の家のガレージでアップルを創業したのは二十歳のときでした。それから一生懸命に働き、10年後には売上高20億ドル、社員数4000人を超える会社に成長したのです。そして我々の最良の商品、マッキントッシュを発売したちょうど1年後、30歳になったときに、私は会社から解雇されたのです。自分で立ち上げた会社から、クビを言い渡されるなんて。

    実は会社が成長するのにあわせ、一緒に経営できる有能な人材を外部から招いたのです。最初の1年はうまくいっていたのですが、やがてお互いの将来展望に食い違いがでてきたのです。そして最後には決定的な亀裂が生まれてしまった。そのとき、取締役会は彼に味方したのです。それで30歳のとき、私は追い出されたのです。それは周知の事実となりました。私の人生をかけて築いたものが、突然、手中から消えてしまったのです。これは本当にしんどい出来事でした。

    1カ月くらいはぼうぜんとしていました。私にバトンを託した先輩の起業家たちを失望させてしまったと落ち込みました。デビッド・パッカードやボブ・ノイスに会い、台無しにしてしまったことをわびました。公然たる大失敗だったので、このまま逃げ出してしまおうかとさえ思いました。しかし、ゆっくりと何か希望がわいてきたのです。自分が打ち込んできたことが、やはり大好きだったのです。アップルでのつらい出来事があっても、この一点だけは変わらなかった。会社を追われはしましたが、もう一度挑戦しようと思えるようになったのです。

    そのときは気づきませんでしたが、アップルから追い出されたことは、人生でもっとも幸運な出来事だったのです。将来に対する確証は持てなくなりましたが、会社を発展させるという重圧は、もう一度挑戦者になるという身軽さにとってかわりました。アップルを離れたことで、私は人生でもっとも創造的な時期を迎えることができたのです。

    その後の5年間に、NeXTという会社を起業し、ピクサーも立ち上げました。そして妻になるすばらしい女性と巡り合えたのです。ピクサーは世界初のコンピューターを使ったアニメーション映画「トイ・ストーリー」を製作することになり、今では世界でもっとも成功したアニメ製作会社になりました。そして、思いがけないことに、アップルがNeXTを買収し、私はアップルに舞い戻ることになりました。いまや、NeXTで開発した技術はアップルで進むルネサンスの中核となっています。そして、ロレーンとともに最高の家族も築けたのです。

    アップルを追われなかったら、今の私は無かったでしょう。非常に苦い薬でしたが、私にはそういうつらい経験が必要だったのでしょう。最悪のできごとに見舞われても、信念を失わないこと。自分の仕事を愛してやまなかったからこそ、前進し続けられたのです。皆さんも大好きなことを見つけてください。仕事でも恋愛でも同じです。仕事は人生の一大事です。やりがいを感じることができるただ一つの方法は、すばらしい仕事だと心底思えることをやることです。そして偉大なことをやり抜くただ一つの道は、仕事を愛することでしょう。好きなことがまだ見つからないなら、探し続けてください。決して立ち止まってはいけない。本当にやりたいことが見つかった時には、不思議と自分でもすぐに分かるはずです。すばらしい恋愛と同じように、時間がたつごとによくなっていくものです。だから、探し続けてください。絶対に、立ち尽くしてはいけません。


    3つ目の話は死についてです。

    私は17歳のときに「毎日をそれが人生最後の一日だと思って生きれば、その通りになる」という言葉にどこかで出合ったのです。それは印象に残る言葉で、その日を境に33年間、私は毎朝、鏡に映る自分に問いかけるようにしているのです。「もし今日が最後の日だとしても、今からやろうとしていたことをするだろうか」と。「違う」という答えが何日も続くようなら、ちょっと生き方を見直せということです。

    自分はまもなく死ぬという認識が、重大な決断を下すときに一番役立つのです。なぜなら、永遠の希望やプライド、失敗する不安…これらはほとんどすべて、死の前には何の意味もなさなくなるからです。本当に大切なことしか残らない。自分は死ぬのだと思い出すことが、敗北する不安にとらわれない最良の方法です。我々はみんな最初から裸です。自分の心に従わない理由はないのです。

    1年前、私はがんと診断されました。朝7時半に診断装置にかけられ、膵臓(すいぞう)に明白な腫瘍が見つかったのです。私は膵臓が何なのかさえ知らなかった。医者はほとんど治癒の見込みがないがんで、もっても半年だろうと告げたのです。医者からは自宅に戻り身辺整理をするように言われました。つまり、死に備えろという意味です。これは子どもたちに今後10年かけて伝えようとしていたことを、たった数カ月で語らなければならないということです。家族が安心して暮らせるように、すべてのことをきちんと片付けなければならない。別れを告げなさい、と言われたのです。

    一日中診断結果のことを考えました。その日の午後に生検を受けました。のどから入れられた内視鏡が、胃を通って腸に達しました。膵臓に針を刺し、腫瘍細胞を採取しました。鎮痛剤を飲んでいたので分からなかったのですが、細胞を顕微鏡で調べた医師たちが騒ぎ出したと妻がいうのです。手術で治療可能なきわめてまれな膵臓がんだと分かったからでした。

    人生で死にもっとも近づいたひとときでした。今後の何十年かはこうしたことが起こらないことを願っています。このような経験をしたからこそ、死というものがあなた方にとっても便利で大切な概念だと自信をもっていえます。

    誰も死にたくない。天国に行きたいと思っている人間でさえ、死んでそこにたどり着きたいとは思わないでしょう。死は我々全員の行き先です。死から逃れた人間は一人もいない。それは、あるべき姿なのです。死はたぶん、生命の最高の発明です。それは生物を進化させる担い手。古いものを取り去り、新しいものを生み出す。今、あなた方は新しい存在ですが、いずれは年老いて、消えゆくのです。深刻な話で申し訳ないですが、真実です。

    あなた方の時間は限られています。だから、本意でない人生を生きて時間を無駄にしないでください。ドグマにとらわれてはいけない。それは他人の考えに従って生きることと同じです。他人の考えに溺れるあまり、あなた方の内なる声がかき消されないように。そして何より大事なのは、自分の心と直感に従う勇気を持つことです。あなた方の心や直感は、自分が本当は何をしたいのかもう知っているはず。ほかのことは二の次で構わないのです。

    私が若いころ、全地球カタログ(The Whole Earth Catalog)というすばらしい本に巡り合いました。私の世代の聖書のような本でした。スチュワート・ブランドというメンロパークに住む男性の作品で、詩的なタッチで躍動感がありました。パソコンやデスクトップ出版が普及する前の1960年代の作品で、すべてタイプライターとハサミ、ポラロイドカメラで作られていた。言ってみれば、グーグルのペーパーバック版です。グーグルの登場より35年も前に書かれたのです。理想主義的で、すばらしい考えで満ちあふれていました。

    スチュワートと彼の仲間は全地球カタログを何度か発行し、一通りやり尽くしたあとに最終版を出しました。70年代半ばで、私はちょうどあなた方と同じ年頃でした。背表紙には早朝の田舎道の写真が。あなたが冒険好きなら、ヒッチハイクをする時に目にするような風景です。その写真の下には「ハングリーなままであれ。愚かなままであれ」と書いてありました。筆者の別れの挨拶でした。ハングリーであれ。愚か者であれ。私自身、いつもそうありたいと思っています。そして今、卒業して新たな人生を踏み出すあなた方にもそうあってほしい。

    ハングリーであれ。愚か者であれ。

    ありがとうございました。

    ※スティーブ・ジョブズ氏が2005年6月12日、スタンフォード大学の卒業式で行ったスピーチ原稿の翻訳。


  • 今日の一言 2月の学校だよりから

    公開日
    2026/03/02
    更新日
    2026/03/02

    校長雑感 一隅を照らす

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    学び始めよう!

    〇意識して学び始めたのは、いつのことだったのでしょうか。

    鮮明に覚えています。NHKの夕方の天気予報の後、一分程度放送された番組紹介。1975年3月。

    カール・ベーム(歴史に残る名指揮者)とウィーン・フィルの来日公演の特番でした。

    曲名も覚えています。ブラームスの第1番のシンフォニーの第3楽章。

    いったい、この世界は何なんだ?!この人たちって何者?!

    こんな世界でこんな人たちと一緒に生きることってできないのかな!

    やってみたい!どうすればいいの、何から始めたらいいの!

    中学2年の春を迎える季節、ほんの一瞬の出来事でした。

    〇何者かでありたい!と思った瞬間から「学びが始まる」

    思い描いた未来の自分の姿に、実現できるかどうかなど一切考えずに興奮しました。何者かでありたい!と強く願った、人生で初めての瞬間であり、意識して学び始めた瞬間でもありました。

    中学生から大学生までの不安定な自分探しの時代には、本もたくさん読みました。学校の勉強からも学びましたが、偉人伝やサクセスストーリー物やノンフィクションから刺激を受けて憧れた人の考え方や服装や習慣まで模倣しようとしました。その中には今でもメンター的な存在で私を支えてくれている人物もいます。でも、このころは、夢・憧れという自分だけの世界のことでした。

    〇大切な人を守りたい。社会の中で役に立ちたい。「学びの継続」

    社会に出てからは、自分だけの夢や願望から関心の領域が大きく広がります。他者との関係性の中から生まれる願いや使命は、質の違うものです。「学び」に実効性や緊急性が求められ、その領域の幅も自ずと広がってきます。もっと知りたい、早く知りたい、役に立ちたい、学んだことを直ぐに実践したい。遠足の日の朝みたいなワクワクした気持ちが続いていた時期がありました(今もあまりかわりませんが)。入学や就職、結婚や家族ができたときなど、「学び」へのモチベーションが高まる瞬間は様々です。皆様も同じような経験をされていることと思います。

    * * * * * * *

    三中生の中には、すでに意識して学び始めている子もいるでしょうし、“今”何かが見つかる瞬間を迎えようとしている子もいることでしょう。今年度も余すところあと僅かとなりましたが、学校は、子どもたちに「意識して学び」始める機会を与える場でありたいと様々な教育活動をしてきました。皆様からの感想も是非お聞かせください。来年度に向かって準備を始めて参ります。


  • 今日の一言 1月の学校だよりから

    公開日
    2026/03/02
    更新日
    2026/03/02

    校長雑感 一隅を照らす

    だからこそ、幸せに!

    新年あけましておめでとうございます!今年もこのお話から始めたいと思います。

    * * *

    二十数年前、ドイツ・デュッセルドルフの小さなオフィスで働いていました。一般業務に加え、現地スタッフの生活面のケアまで、現地で永く暮らしている私のような者の仕事でした。そんな時、女性スタッフが日本からやってきました。

     入居初日。賃貸物件の確認や細々した生活規則に始まり、電話や光熱費の契約、通勤の仕方など、ドイツ生活のあれこれを説明していきます。部屋の窓からは、この地方独特のどんよりとした曇り空、くすんだ色の街並みが見え、隣接する小学校からは子どもたちの声が、遠くかすかに聞こえてきます。聞いているのか・いないのか、彼女の少しだけ“遠い目”が気になりました。一息つこうと、故郷の話しになりました。彼女は「神戸」出身、あの震災を経験していたのです。

     「こんなに素晴らしい環境で仕事ができるんですね。何だか申し訳ないな・・」私は「申し訳ない」の意味がつかめず黙っていると、彼女は続けて言いました。「だって私は、幸せになってはいけないんです」「私の姉と祖母は、私の目の前で燃える家の下敷きになって・・・」ことばは途中で消えていきました。「幸せになってはいけない・・」なんとつらい想いをしていたことでしょうか。そう思った刹那、声が出てしまいました。「幸せになろうよ!」こんなことを言ってはいけなかったのかも知れません。でも私の想像力が追いていけるはずもありません。震災を、私は遥か遠くの国から話にしか聞いていなかったのです。

    ・・・

     それから、10数年後。大阪で再会しました。お酒の好きだった彼女が「今日は禁酒ですッ」とニコッとしました。結婚して子どもができたのです。彼女は「幸せ」になっていました。どれほどの想いを乗り越えたのでしょうか。彼女は周りの人たちから、たくさん助けられてきたそうです。素晴らしい出会いがあり、笑顔を取り戻し、新しい「命」を未来につないでいくことができたのです。

    三国丘中学校は、主権者教育・防災教育を取り組んできました。「命」を大切にし、当たり前であることに感謝し、「今」を「幸せ」と感じることできる力も育んでいきたいと思います。校舎改築もいよいよ本格的に始まります。保護者の皆様・地域の皆様からの益々のご理解とご支援をいただきたく引き続きよろしくお願い申し上げます。


  • 今日の一言 全校集会 3月2日

    公開日
    2026/03/02
    更新日
    2026/03/02

    校長雑感 一隅を照らす



    “正心館”
    コロナ渦で中止していた“正心館”(体育館)での全校集会を復活したのは、令和5年のことでした。あれから3年、厚い季節や感染症が流行っているとき等を除いて“正心館”に集まりました。1年生から3年生の全生徒が集まるのは、3月2日が最後です。3年間を振り返り、お話をしました。
    * * * *
    全校集会でいろいろお話をしてきました。皆さん覚えていますか?
    Sapere aude”“自分の悟性を信じる勇気を持とう
    “ピンクの像”“最後をイメージしてから始める”
    “正しい問いを持とう。問いの中で私たちは生きている。”
    “直観を大切に!自分との小さな約束を守ると自信が持てる。自信が持てると直感をつかめる。”
    “絶対積極であろう。正しい思念で行動するかぎり、失敗はない。絶対的に積極的な想いでいよう。想いは必ず現実化する。”
    “勉強するのは、本当の強さを持つため。そして大切な人を守るため。”
    “常に当事者意識をもって考え行動しよう。”
    “抽象の梯子の上り下り。”“夢が目標になる瞬間。”などなど・・・
    でも一番よく言っていたことは
    “大切なことは、先生が繰り返し繰り返し話してくれています。先生は一所懸命です。先生の話をよく聞いてくださいね。”これは,宮沢賢治が祈るような思いで生徒たちに語り掛けていた言葉でもあります。
    ・・・・
    皆さんの教室の中、廊下や階段。校舎のあちらこちら。名言や格言や皆さんが考えた素晴らしい言葉が溢れています。皆さん!一生大切にしたい言葉をもう見つけることはできましたか?言葉は自分を励まし勇気づけてくれます。自分を大切にすることができます。幸せにしてくれます。これからも、喜びや慈しみに溢れた言葉に囲まれて皆さんが過ごされることを心から願っています。
    ・・・・
     さて、全校生徒が集まる最後の日です。皆さんで校歌を歌いませんか!
    そして最後に1・2年生は3年生の方を向いて、3年生にエールと感謝を込めて大きな大きな拍手を送りましょう!


  • 今日の一言 仲良くするために僕らは出会った 12月8日

    公開日
    2025/12/08
    更新日
    2025/12/08

    校長雑感 一隅を照らす



    1)友だちの嫌がることをしない、

    2)じぶんがしてほしいことをする。


    この言葉を覚えましょう。


    1)友だちの嫌がることをしない

    いやだなと、思ったら「止めて」・・と言いましょう。

    「いや・やめて」と言われたら、止めましょう。



    止めてほしいとき、わかりにくい言葉で言っても、友だちが気づいてくれないかも知れません。

    はっきりとわかりやすい言葉で「止めて」と言いましょう。自分ではなくて、ほかの友だち同士がしていることで、止めたほうがいいなと思うことをしているのを見たり、聞いたりしたら、「止めよう」と言いましょう。



    友だちが「止めて」と言っているとき、

    友だちは、怒った顔をしていないかもしれません、ニコニコしているかも知れません。

    でも、本当にいやなのです。いやな顔をしながらいうと、嫌われるかも知れないから、普通の顔をして言っています。でも、やめてほしい気持ちをわかってほしくて、一生懸命に言っています。

    わかってあげましょう。

    「やめて」と言われたら、すぐに止めましょう。

    2)じぶんがしてほしいことをする。


    じぶんがしてほしいことは、友達もしてほしいことかも知れません。

    じぶんがしてほしいことは、わかりやすいでしょ。

    そのじぶんがしてほしいことを友だちにしていれば、

    友だちはいやな思いをしないと思いませんか?



    こういう積極的な想い「思いやり、感謝、人助け」などは、心が温かくなるような沢山の「してほしいこと」につながります。

    想像してみてください。

    ・・・

    もう一つ大切なことがあります。

    それは、やっぱり「あいさつ」です。

    きのう、喧嘩した友だちの顔を見ることができますか?

    そっぽを向いていませんか?

    その子は寂しそうにしていませんか?



    ニコッと笑って

    「おはよう、昨日はごめんね」と言えるといいですね。

    「ごめんね」と言われたら、

    「いいよ、私も言い過ぎたね、ごめんね」と、

    お互い許しあえたらいいですね。

    ◯おうちの人、町内のおじさんやおばさん、これから出会う多くの人たちみんな、
       仲良くするために
       楽しいことをするために
       お互いが素晴らしいねってほめ合うために
       出会います。

    ◯今 お隣にいる友達、担任の先生も

      仲良くするために一緒にいます。

      楽しいことをするために一緒にいます。

      お互いが素晴らしいねってほめ合うために一緒にいます。

    そのために、まず大切なことは「あいさつ」です。

    「おはようございます」

    「よろしくお願いします」

    「ありがとうございます」

    「さようなら」

    「ごめんなさい」


    さあ これで、もう 楽しい学校 です。
    * * * * * *
    昔、小学校の校長先生をしていた時に全校朝会でしたお話です。中学生でもまだ通じるかな?
    大人同士でも「仲良くするために出会って,仲良くるために一緒にいる」と考えると
    楽しくなりませんか・・・・!

  • 今日の一言 俺流 12月1日

    公開日
    2025/12/01
    更新日
    2025/12/01

    校長雑感 一隅を照らす

    ≪12月の学校だよりから≫

    『俺はオレ,価値観の物差しは自分の中にある』  

    3年生は、高校受験真っ只中。将来について想い馳せながら、自分は何者なんだろう?などと悩んでいるんじゃないかなと思います。そんな時、人生を強い想いで走り通したある人のことを思い出しました。今年もこの話をさせてください。

    *    * * * * * *

    指揮者・小澤征爾さん(令和6年2月6日没・88歳)です。音楽界での活躍のみではなく、成功に至るまでの型破りの挑戦・生き様にも、多くの人たちが感動しました。また、著名な人々との対談などもとても興味深いものでした。その受け答えが、偉ぶらず、とても素直で誠実だったこともありますが、加えて印象的だったのは、彼の独自の価値観でした。

     20代でニューヨークフィルを指揮し、その後、時を経ずしてボストン交響楽団の音楽監督に就任しました。その時期のインタビューで彼はこんなことを言っています。

     「多くの人が、私のことを≪世界の小澤≫というけれど、世界ってなんなんでしょう?私は満州生まれだし、音楽は日本で勉強したし、音楽しているところが、今アメリカって言うだけで、“俺はオレ”だと思う。世界に認められなければだめですか?僕は世界の小澤って言い方、好きじゃない。」

     当時の彼は、日本が独自の評価基準を持つことができず、海外で認められた時のみ騒ぎ立てる風潮に疑問を持っていました。

     その想いは,年月が経っても変わることはありませんでした。2002年、ウィーン国立歌劇場の音楽監督に就任。その時、テレビ番組「小澤征爾64歳の挑戦」で同様の発言をしています。

     Q:「日本は、今グローバル化が進み、海外で活躍することを求められている時代です。ですが小澤さんのように、世界で活躍する人が、今、日本から次々と現れるという状況にあると思いますか?」

    小澤:「(質問の真意がわからない様子で)ん~わかんないな。でも大切なのは、ひとり一人がどういう風に生きていくか、ですよね。“日本から”とか、関係ないんじゃないですか。」

     番組は、グローバル化を目指す日本へのエールを、「世界」の小澤に求めたのかもしれません。

    しかし、小澤の答えは違いました。国を意識した「グローバル」をあっさり否定し、ひとり一人の、とても個人的な能力や想いや生き様が「本当のグローバル」なんだ!と。

     ボストン交響楽団時代の小澤さんは、オーケストラを引き連れて帰国すると、ホテルで団員を浴衣に着替えさせて、日本風の宴会をするほど、日本大好きで日本を根っこに持っている人です。それは、ことさらに日本を強調するわけではなく、彼にとってはごく当たり前で、ただ楽しもう、喜んでもらおう、としているだけなのです。

    俺はオレ!価値観の物差しは、自分の中にある・・・と

  • 今日の一言 8月6日 太き骨は先生ならむ

    公開日
    2025/08/06
    更新日
    2025/08/07

    校長雑感 一隅を照らす

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    太き骨は先生ならむ そのそばに 小さきあたまの骨 あつまれり

    1976年、平和祈念式典に私は高校1年生で参加していました。
    小学校は、広島市立幟町小学校、中学校は広島市立幟町中学校を卒業しました。
    千羽鶴で有名な佐々木禎子さんの学校です。
    その後、広島基町高校に進学しました。当時、全国大会に毎年出場するような吹奏楽部がありました。
    その吹奏楽部は、毎年、平和記念式典で演奏するお役目がありました。
    私も、一員として打楽器を担当していました。
    必ず晴れる8月6日。この年も強い日差しの照り返しの中で演奏したことを鮮明に覚えています。

    それ以来、8月6日・8時15分には、心は必ず広島にありました。

    あの日から、齢を重ね、教育現場に22年、日本に帰って校長として12年、最後の年の夏。
    80回目の原爆投下の日。
    石破総理大臣が読み上げたこの歌は、私に何度も繰り返してきた決意を強烈に呼び覚ましてくれました。

    平和を維持し続けなければならない!踏みとどまらねばならない!
    どんな立場になろうとも変わることはない。

    8月9日、8月15日・・・。
    過去、何千何万という人々が、同じ日に命の悲しみ・痛恨の記念日を持たなくてはいけませんでした。
    本来、私たちは何千何万の別々の安らかな最期の日を迎えなくてはならないと思います。


    この歌は、学校現場にいるすべての先生方の想いだとも思います。
    明日も、またその次の日も子どもたちの喜びに満ちた笑顔が見れますように!

  • 今日の一言 7月16日 子どもたちの底力、地域・保護者の底力

    公開日
    2025/07/16
    更新日
    2025/07/16

    校長雑感 一隅を照らす

    修学旅行報告会をフェニーチェ堺の小ホールと大スタジオで開催しました。

    防災の発表もありました。2年半の77期生の学びの積み重ねの大きさを感じました。

    こんなにも素晴らしい成果を自らの言葉で表現することができる彼らに感動しました。

    保護者の皆様、三国丘の地域の皆さんの底力も感じました!!

    ありがとうございます。

  • 今日の一言 7月15日 管理されることに慣れた人

    公開日
    2025/07/15
    更新日
    2025/07/15

    校長雑感 一隅を照らす

    最近、ある人から組織についてお話を伺うことがありました。

    * * * *

    自分をコントロールできている人を見ると、大きな安心感を得ることができます。

    自分をコントロールできている人は、自分の能力を知っていて、業務量や業務の難易度も分かっていて、自分の持ち時間も把握しています。

    引き受けることができない仕事は、断ることができるし、もし、難しい仕事を引け受ける際には、「今日はできないけれど、来週ならできます」という風に条件を提示することができます。

    こんな人になら、安心して仕事をお願いできるし、できないと言ってくれるので、すぐに他の人に頼むことができます。信頼関係ができているという表現も当てはまると思います。


    しかし、自分をコントロールできない人との仕事は大変です。結論から言うと、こちらが管理してあげなくてはいけないからです。

    自分をコントロールできない人は、自分の能力が分からず、できることとできないことを班別もできません。万一できないことが何かわかっても、できるようになるためには、何を学習し、そのためにはどのくらい時間が必要かなど分からなければ、その人は、やはり途方に暮れてしまうでしょう。まったく自己制御不可能な状態です。

    その時は、組織として管理しなければ、仕事は非効率となり、最悪の場合は、ミスが続き、大きな損失が生まれることにもなりかねません。

    しかし、最悪なケースを恐れるあまり、管理することで組織運営をし続けると、それが組織の文化となり、「管理されることに慣れた人たち」の集まりになってしまうのではないでしょうか。一度できた文化を変えることは簡単ではありません。

    * * * * *

    さあ、果して我が組織はどうでしょうか?

  • 今日の一言 7月10日 コントロールできる力

    公開日
    2025/07/10
    更新日
    2025/07/10

    校長雑感 一隅を照らす

    自分をコントロールできる力を持っている子を見ると、すごいなぁと思います。

    自分ことをよく知っている証拠です。大人でもなかなかできることではありません。

    晴れた大きな青空の下、そんな元気な子どもたちが何人います。