今日の一言 9月14日 いくらまわされても 針は 天極を指す
- 公開日
- 2023/09/14
- 更新日
- 2023/09/14
校長雑感 一隅を照らす
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いくらまわされても 針は 天極を指す
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詩人高村幸太郎のことばです。
有名なことばですので、ご存知の方も多いと思います。
この言葉を、教育に携わる人たちは、授業や講話などでよく引用するようです。
「自分の信念を方位磁針にたとえ、目指した方向を見失わずにすすもう!」という解釈をよく見かけます。
わたしは、もうちょっと深い意味があると考えています。高村幸太郎の境涯をおもうと、人の意志という狭い思いに捉われるのではなく、もっと根源的な意味があるように思います。
子どもたちと日々接しながら、ふとそのように感じたのですが・・・。
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森信三先生の「修身教授録」の第36講「誠」に次のようにあります。
(天王寺師範学校の教諭であった森信三が教員の卵である学生に「教育者の道」を講義したときの一節です)
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・・・真実の道というものは、「自分がこれを開くんだ」というような考えでは、
真に開けるものではないようです。・・・
「自分が道を開くのだ」というような一切の野心やはからいが消え去って、
このわが身わが心の一切を、現在自分が当面しているつとめに向かって捧げ切る「誠」によってのみ、開かれるのであります。
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「自分の信念を方位磁針にたとえ、目指した方向を見失わずに進もう!」という考え方と一見同じようにみえます。しかし、そこには大きな違いがあります。
自分の信念=己というものが中心となって定めた「天極を目指して」進むのか。
もしくは、
そのようなちっぽけな〈個〉を超えた「大いなる存在」が定めた「天極に導かれて」己の歩を進めていくのか。
私は、後者であるように思うのです。
では、
学校において「天極」とは、何になるのでしょうか?