今日の一言 9月10日 嘘をついてはダメ?(6) 2030年⇒一人一人が未来の創り手
- 公開日
- 2023/09/10
- 更新日
- 2023/09/11
校長雑感 一隅を照らす
2017年2月18日(当時の学校ホームページ)にこんなことを書いていました。
* * * * *
・・・
価値観が多様化している・・・
答えが一つではない世の中・・・
・・・
随分以前から言われるようになった言葉ですが、
私は、この言葉を耳にするたびに気持ちがザワザワします。
・人によって価値観はそんなに違うのだろうか。
・数千年前、何百年前、何十年前・・人っていつも同じ事を繰り返してる。突然ここ数年で人類が繰り返してきた枠から出ていくような価値観の多様性なんてあり得るのか?
・価値観と一口で言っても、大きな意味での「正義とは何か、平和とは何か、愛とは何か、善とは何か」等の価値観に変化はないんじゃないか?答えはそんなにたくさんないんじゃないだろうか?
・生活様式、職業、社会体制、ビジネスモデル・・・このレベルは多様化しているかもしれない?でも、総論も各論(マクロ・ミクロ。全体・部分。)もいっしょくたにして「価値観の多様化」という言い方をするのは少し乱暴ではないか?
* * *
7・8年前のベストセラー≪これからの「正義」の話しをしよう=マイケル・サンデル≫が、最後の章でこんなふうに言っています。
「われわれは正義に対する三つの考え方を探ってきた。
第一の考え方では、正義の功利性や福利を最大限にすること
−最大多数の最大幸福−
第二の考え方では、正義の選択の自由の尊重。
自由市場で人びとが行う現実の選択
平等な原初状態で人びとが行うはずの仮説的選択
第三の考え方では、正義には美徳を涵養すること
共通善について判断すること
が含まれる
私は第三の考え方に属している・・・
・・・中略・・・
公正な社会は、ただ効用を最大化したり選択の自由を保証したりするだけでは、達成できない。公正な社会を達成するためには、善良な生活の意味をわれわれがともに考え、避けられない不一致を受け入れられる公共の文化を創り出さなくてはならない。
(P.334〜335から抜粋)
* * *
次期学習指導要領に向けての答申の第2章には、
「2030年の社会と子供たちの未来」と題目が立ててあり
学校(学習)は、
「子供たちの一人一人が未来の創り手になる」
ための教育を求められている・・・としています。
・・・
公正な社会(正義のある社会)が、子供たちが創る未来とするならば、
上述の第一、第二の正義に対する考え方(少々、乱暴に結びつけると)は、ともすると多様な基準、ひとつではない答えとなり、「価値観の多様化」という迷いの中で教育自体が不安定となり、子供たちの未来も雑多で不透明になる可能性があります。
一方、第三の考え方は、「不易(時代や社会によって変わらないもの)」であり、多様性が入り込みにくい領域だと思います。ザワザワした気持ちが落ち着きます。自分の立ち位置に自信がでてきます。
なぜなら・・
いろいろな価値観があり、選ばなければいけない。
選んだものが正しいか不安だ・・・
ということにならないからです。
・・・
答申の第2章にこうも書かれています。
「いかに進歩した人工知能でも、それが行っているのは与えられた目的の中での処理であるが、人間は、感性を豊かに働かせながら、どのような未来を創っていくのか、どのように社会や人生をよりよいものにしていくのかという目的を自ら考え出すことができる。このために必要な力を成長の中で育んでいるのが、人間の学習である。」
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多様であっていいことと、多様で有り得ないことを明確にし、
それを社会(保護者・地域)と学校が共通認識できれば
すばらしいと思うのですが・・・・