今日の一言 8月7日 広島について
- 公開日
- 2023/08/07
- 更新日
- 2023/08/07
校長雑感 一隅を照らす
【その1】
幼稚園から小学校の低学年。小学校高学年から高校1年まで、広島に通算で8年暮らしたことがあります。その後、27年ドイツで生活しました。「広島に住んでいたことがある」とドイツ人にはなすと、一様に暗い表情になり、原子爆弾のことや広島の今のことをいろいろ訊いてきます。
広島で小学校・中学校(千羽鶴で有名な佐々木貞子さんの卒業した幟町小学校と1年生だけいた幟町中学校です)を卒業した私は、彼らの質問になんとかかんとか答えた記憶があります。しかし、それ以上に記憶に残っているのは、世界で唯一被ばくした国は日本なんだ、と強く意識したことです。
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【その2】
小学校6年の1学期のころは、島根県・松江にいました。修学旅行で広島に行きました。(2学期には広島に転校することになるのですが)
松江にいるころは、同級生たちと軍艦や戦闘機の影の絵を見て、名前を当てる遊びをしたり、まんが「のらくろ」「紫電改のタカ」を読んだり、昭和一桁生まれの父が歌う軍歌を覚えて一緒に歌ったりしていました。
同級生たちも似たりよったりでした。
そんな時に修学旅行で広島に行ったのです。バスの中でうたう歌は、流行歌にまじって軍歌もあります。
松江からバスで広島に入るためには中国山脈を越えていきます。ちょうど山脈を超え山陰の暗い空が山陽の青い空に変わったころ、バスガイドさんの提案で「きょうちくとうのうた」をうたことになりました。
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こんな歌です
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夏に咲く花 夾竹桃
戦争終えた その日から
母と子供の おもいをこめて
広島の 野にもえている
空に太陽が 輝くかぎり
告げよう世界に 原爆反対を
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ヒロシマについてもいろいろと話してくれました・・・迷いもなく軍歌を歌い軍艦の話をして騒いでいた私たちは何かとんでもない場所へ向かっていくことに気がつき、どんよりとした空気感を感じでいました。そうこうするうちに、広島に到着したのです。
・・・一泊二日。平和公園・宮島、楽しいことばかり覚えています。
帰りのバスの中。
もう軍歌は誰も歌っていません。
戦争ごっこも誰もしなくなりました。
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【その3】
小学校2年の2学期、広島に住んでいました。
怖い夢を見ました。
昼間だと思うのですが、薄暗く重苦しい空気。
岸辺から見上げると、そこには焼けたような石の橋が見えます。
橋を通りこしたずっと上には、雲が赤黒くひろがる空。
橋のうえに、ひとり、また ひとりと人影が。
目を凝らすと
力なく伸びたうでの先からは、服なのか何かわからない布切れのようなものが、ぶらりと、ぶら下がっています。
うわー怖いと思って、
頭を右に動かしても、橋の映像は一緒についてきます。
左に動かしても、ついてきます。
もう駄目だと、目が覚めると大汗をかいてぶるぶる震えていました。
母のところに行くとすぐ熱を計ってくれました。40度近い熱です。
この日から、私は小児リュウマチのため2学期をまるまる病院で過ごすことになりました。
あの夢の映像は何だったのでしょうか?
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この3つのお話は、私の中で繋がり「ヒロシマ」への想いは、心に深く刻まれています。因みに、私たちは被爆2世の世代です。
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今では、広島は力強く、明るい街です。広島カープも強いですね。
一方で、私たち日本に住み、日本で教育を受ける者が、広島の地を訪れ、あのときのヒロシマを感じることは、とてもとても大切だと思います。これから国際社会で生きていく子どもたちが、広島を語り、力強く明るく平和を求める心持つことができることを願います。
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バスの中で歌った2曲
その歌詞は・・・12歳の子どもは何を感じたのでしょうか。
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