今日の一言 6月5日 直立不動の祈り その2
- 公開日
- 2025/06/05
- 更新日
- 2025/06/04
校長雑感 一隅を照らす
私は、今90歳です。当時、立川の陸軍航空隊にいました・・・・
私には、兄弟が7人いました。長男は昭和17年に戦死。街で最初の戦死者となり、婦人会の方たちがずらっと並んで兄の遺骨を迎えてくれました。私はその列の前を白い箱を首から下げて歩きました。
しばらくして私は志願して陸軍の航空隊に入りました。入隊許可の文書(大臣が発行)を誇らしげに母に見せると、母は「お前もか」と泣きました。
あの時、母は泣きましたがでも生き残ったのは、私一人・・・運命と言うのでしょうか。皮肉なものです。
* * *
この平和公園の場所には、4400名ほどが暮らしていました。映画館が数件在り、広島の中でもそれは賑やかな所でした。私は川向こうの河原町に住んでいましたが、よく来たものです。
代々のお墓もありました。墓地の跡として墓石が一つだけ残っています。行ってみますか。そのお墓は、数十センチ低いところにあります。公園にするために土を盛ったのです。ここのほんとうの土地の高さはこのお墓の立っている地面の高さです。
でも、ここから元安橋へ向かう道が少し曲がっているでしょ。これは昔のままなんです。元安橋の角っこに観光案内所があるでしょ。数年前、その場所で水道工事のために穴を掘るというので、見に行ったことがあります。すると地面の底から、昔のコンクリートの道が出てきました。この道は私がよく通った道でした。
* * *
彼は感慨深そうに元安橋の方に目を向けます。しばらく話が途切れました。
・・・・・
「ところで、原爆投下の後、立川から広島には戻ってこられたのですか?」
わたしの不躾な質問に彼は答えました。
8月の終わりでしたか、いや9月1日だったかな?
・・・・・彼のはなしはまだ続きます。
(つづく)