堺市立三国丘中学校

今日の一言 6月4日 直立不動の祈り その1

公開日
2025/06/04
更新日
2025/06/04

校長雑感 一隅を照らす

今年、日本は戦後80年を迎えます。テレビでも夏に向かい、戦争・平和をテーマにした番組が流れ始めました。

数日前、NHKの番組「映像の世紀 バタフライエフェクト」

≪シリーズ 核の80年(2)ヒロシマ 世界を動かした2人の少女≫が放映されていました。

主人公は、広島で被爆した二人の少女、佐々木禎子さんと中村節子さんでした。

佐々木禎子さんの卒業した小学校、通学した中学校は、私の卒業した学校でした。

学校の名前は、広島市立幟町小学校・広島市立幟町中学校です。

私は、10年前(2014年)、27年ぶりで日本に帰国。大阪市の小学校で校長を勤め始めていました。

初めての夏が終わろうとするころ、PTAから「修学旅行を学びのある行事にしてほしい」という要望を受けました。

即座に提案したのが、「ヒロシマ」への修学旅行でした。佐々木禎子さんと同じ学校を母校とする私は、

「ヒロシマ」への修学旅行を成功させるため、3日間の下見に広島へと向かいました。

*****

この日の朝はもう秋を感じさせる涼しさでした。

この朝、真っ先に行ってみようと思っていたのは「原爆供養塔」でした。平和公園の北の端にあります。

土盛りの供養塔の内部には納骨堂があり、一家全滅で身内の見つからない遺骨や氏名の判明しない遺骨約7万柱が納められています。8時15分を少し回った頃でした。すでに20名ほどの団体の観光客が、塔の前で黙祷をしていました。一行がいなくなったら私もお祈りしようと待っていました。

20数名の砂利をふむ音も消え、いよいよ供養塔の前に進み出ようとしたとき、新たに一人の老人が塔の前に歩み出ました。そして、不動の姿勢のまま、長い間動きません(写真)。その後ろ姿を私はずっと見ていました。

ふっと、祈りを止め、塔の前を立ち去ろうとする彼を目で追っていると、彼と視線が合いました。思わず軽く会釈する私に彼は近づいてきて「どちらからですか」と話しかけてきました。

* * * *

私は、今90歳です。当時、立川の陸軍航空隊にいました・・・・、それから小一時間。平成27年の平和公園から70年前の広島へタイムスリップしたような体験をしました。

(つづく)