堺市立三国丘中学校

今日の一言 5月28日 音楽とともに その2

公開日
2025/05/28
更新日
2025/05/28

校長雑感 一隅を照らす



 テーマ曲を決めて、いつもその曲を聴きながら旅行をしよう!そんなことを決めて旅行をし始めた、最初の長旅でした。
 まだ、音楽を生業としていたころ、長靴型のイタリアのふくらはぎ辺り、スロヴェニアの国境に面した街にコンサートで行くことがありました。住んでいたところは、ドイツ・フランクフルト。その町からから、どんどん南へ、アルプスを越え、イタリアに入りベネチアを通りすぎて、トリエステまでの、長い長い道のりでした。その道すがら聴くことにしたのは、スメタナの歌劇「売られた花嫁」でした。「売られた花嫁」は、その序曲が特に有名で、オーケストラのコンサートのアンコールで演奏される、華やかで技巧にとんだ曲です。この有名な序曲に続き、次々と演奏されるアリアの数々は、どれも素晴らしく、楽しく飽きることがありません。そのころの私は、ドイツ国内のどこかの歌劇場で演奏することを夢見て、日々研鑽を積んでいる身でもありました。オペラを聴くことも、ある意味で勉強で、歌劇場で演奏されるオペラはすべて手の内に収めようと頑張っていました。旅行に行くときも、どうせなら、オペラをと、この歌劇を選んだのだと思います。
今でもこの曲を聴くと、アルプスの風景や、ベネチア、南ヨーロッパを強く感じるトリエステの海岸と断崖絶壁に聳えるお城などなど、目に浮かびます。いつも音楽がともにある、そんな生活でした。
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 音楽を仕事としなくなった後も、音楽はいつも側にありました。日本に帰って学校で働くようになっても、音楽は私の近くにあり、子どもたちの周りに常にありました。音楽は、人にとって生きる喜びだけにとどまらず、生きるために必要な存在ではないかと思います。

 「学校で学んでいることは役に立つのか?」という問いが、”学び”の評価基準であるかのように言われることがあります。戦争や疫病の流行などで、世の中が物騒になると、生きることで精いっぱいになります。一日一日を生き延びることが最重要になります。そこまでの危機的状況でなくても、世情が不安定になり、未来に不安を感じ始めると私たちは余裕がなくなってきます。役に立つことに集中しようと思うのでしょうか。
 最近、生きることに直結しない「芸術・文化」より、生命を維持するための「社会」について語られることが多くなってきているような気がします。単純な「役に立つか・立たないか」が、価値判断の基準に使われているのではないかと、少し寂しく思います。
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子どもたちには、喜び・うれしさ・楽しさをたくさん感じてほしいですね。