堺市立深井小学校

8/6(木)平和記念式典

公開日
2026/08/06
更新日
2026/08/06

学校紹介

太平洋戦争末期,1945年(昭和20年)午前8時15分,アメリカ軍によって原爆爆弾が投下されました。犠牲者は,その年だけで約14万人と推計され,たくさんの尊い命が一瞬にして奪われました。かろうじて生き延びた方々は,一生がこの原爆による健康被害に苦しんでおられます。式典では,広島で被爆し,この1年に亡くなったり,亡くなったことが確認されたりした4393人の名前が書き加えられた35万3639人の原爆死没者名簿が原爆慰霊碑に納められました。
兵器をめぐる情勢が厳しさを増す中,広島市の松井市長は平和宣言で,「多くの為政者は現実的な対応として核抑止力に依存し続け,暴力を肯定する国際社会が出現し,核兵器のない世界は遠のくばかりだ。」と懸念を示し,「市民社会は一日も早い核兵器廃絶を願っている。」と訴え,若い世代に対して,「平和のために日常生活の中でできることを実践し,自らの思いを発信することで,行動の輪を広げていってほしい。」と呼びかけました。そして,子ども代表の2人は,「私たちには,被爆体験を直接聴くことができる最後の世代として,当時の記憶を事実として受け止める使命があります。一人一人の小さな行動が,平和への後押しとなります。」と,「平和への誓い」を述べました。以下に前文を掲載します。ぜひ,お子さんと一緒に読んでみてください。
(NHK NEWSより)
https://news.web.nhk/newsweb/na/na-k10015197811000 

「平和への誓い」前文 (朝日新聞より)https://www.asahi.com/topics/word/%E5%8E%9F%E5%AD%90%E7%88%86%E5%BC%BE.html

もしも「大切なもの」が一瞬で消えてしまったら、どんな気持ちになるのでしょうか。

私たちが笑い合っているときにも、尊い命が失われている現状があります。

今もどこかで、当たり前の日常がうばわれています。

ぼろぼろになった制服。

黒く焦げたお弁当箱。

それは、当たり前の毎日を生きていた証(あかし)です。

昭和20年(1945年)8月6日、午前8時15分。

たった一発の原子爆弾が、人々の暮らしを、人生を地獄に変えました。

髪は焼けちぢれ、全身の火ぶくれが破れ、火傷(やけど)した皮膚が垂れ下がった人々。

「痛いよ。苦しいよ。」

「助けて、お母さん。」

「死にたくない。」

「助けてあげられなくてごめん。」

死んでしまうつらさ、生き続ける苦しみは、想像することさえ恐ろしいことです。

私たちには、被爆体験を直接聴くことができる最後の世代として、

当時の記憶を事実として受け止める使命があります。

目をそらさず、知ろうとすること。

悲しい現実でも向き合うこと。

そこには、「生きたかった人々」、「生き続けた人々」の思いがあります。

私たちには、広島のこどもとして、行動する責任があります。

相手の気持ちを想像し、意見の違いがあっても認め、受け止めること。

平和への思いを、自分なりの方法で表現すること。

一人一人の小さな行動が、平和への後押しとなります。

平和とは、誰かからあたえられるものでなく、世界中の人々で創り上げるものです。

こどもである私たちも、その一員として平和への一歩を踏み出します。

かけがえのない「大切なもの」を、確かな希望を、未来へ届けるために。

令和8年(2026年)8月6日

こども代表 広島市立高須小学校6年 柿崎由宇(かきざきゆう)

      広島市立高南小学校6年 河野和希(こうのかずき)