今日の一言 9月2日 ヘクトパスカル→パスカル→パンセ
- 公開日
- 2024/09/02
- 更新日
- 2024/09/04
校長雑感 一隅を照らす
台風10号の猛威。報道される度に耳に飛び込んでくるキーワードは、「ヘクトパスカル」という気圧を表す単位でした。私の年代では「ミリバール」と呼び親しんでいましたが、1992年ごろから「ヘクトパスカル」に切り替わったそうです。
さて、この単位の名称の由来ですが、ご存じの通り、「人間は考える葦である」の名言で有名な「パンセ」を著したブレーズ・パスカルから来ています。私は、パスカルと聞くと、数学者・物理学者のパスカルではなく、哲学者のパスカルを思い浮かべてしまいます。パスカルの名前を印象的に聞いた最初が「パンセ」だったからだと思います。皆様の中には、中学校の理科でも学習する「パスカルの原理」で有名な・・と、言われた方がピンとくる方もいらっしゃると思います。「パスカルの原理」は、広く社会で応用され様々な分野で実用されているのは、周知の事実です。
ところで、私が、この有名なパスカルの「パンセ」を初めて手に取ったのは、十代半ばときだったと記憶しています。文学的な表現で感性に訴えてくるパスカルの文章に、惹かれたのを覚えています。後から思えば、キリスト教の背景が色濃く反映されたパスカルの人に対する優しさや慈しみのような感覚に惹かれたのかもしれません。
反対に20代半ばに目にしたデカルト「方法序説」(我思う、ゆえに我あり・・で有名)は、どこまでも論理的で理詰めです。デカルトは、この六つの序説で「自分の理性を正しく導き、もろもろの学問において真理を求める方法」を説明したと書いています。
台風のために家で過ごすことになった週末、手元にあったパスカル「パンセ」の一般向けの解説本を読んでみました。同時代に生きたパスカルとデカルト。信仰と学問とを分離しようした時代に留まろうとしたパスカルと時代を推し進めようとしたデカルト。デカルトは、近代合理主義を確立した哲学者とも言われますが、もし、パスカル的な世界観で世の中が動いていたとしたら、現代社会はどのようになっていたのでしょうか。
※2冊とも、読んだなどとは、決して言えません。たいへん難解であり深淵です。一生かけても内容は理解できないことでしょう。
であれば専門家でもない者が公の場で語ってはならないのかもしれませんが、合理的であることや説明できることが正しさであるかのような風潮に息苦しさを感じる毎日。
台風の日に・・これからの社会を創っていく子供たちに伝えなければならないことは何だろうと・・。